【Fami Mail】 特別寄稿連載  
 

最終回
中央大学 総合政策学部 国際政策文化学科 谷口 愛

 


バリ島での爆発テロ事件の第一報を聞いたのは、朝のラジオ放送でだった。とっさに様々なことが頭をよぎった。大学生活のうちの1年間を過ごしたインドネシア。けだるい空気がゆっくりと流れていく赤道直下の生活では、差し迫った危険を感じることは全くなかった。9・11以降、世界中で何かが変ってしまった。いや、そのずっと以前から少しずつ、歯車は狂いだしていたのだろう。かんかん照りの太陽の下、インド洋を望んで過ごしたあのときは、平和そのもののように思っていた。これから私が寄せるものはただの個人的な留学記に過ぎないが、バリ島の一件でインドネシアという国が少しだけスポットライトを浴びたことをきっかけに、一人の日本人大学生が見たインドネシアの別の側面を紹介できたらと思う。

(この留学記は、中央大学父母連絡会が発行している「草のみどり」151号〜154号に掲載されたものから抜粋したものです。)



 
1、インドネシア留学に至るまで
2、インドネシアでの大学生活 
3、ミナンカバウ族の人々
4、イスラームについて
5、インドネシアでの1年間


 

ゴムの時間

標準的日本人から見て、インドネシアは非常に「のんびり」とした国だと言われている。彼らの時間的観念は非常に興味深く、英語で言う「yesterday」は昨日以降のすべての過去を示し、「tomorrow」は明日以降すべての未来を指す。例えば、「明日、うちにおいで」と言われたとしても、その発言者は必ずしも日本で言う「明日」を意味しているわけではなく、むしろ、「いつか」のニュアンスを含んでいる。そんな時間的観念を象徴しているのだろうか、インドネシアでは日本とはちがう「時計」が使用されている。といっても、もちろん、物質的な意味ではない。「ジャムカレット(ゴムの時間)」という表現がある。インドネシアでの時間を表すときにしばしば使われる言葉である。時間がゴムのように伸びたり縮んだりするという意味だ。ここでは「時間を守る」という概念があまりないように思う。もちろん、すべての人がそうであるわけではないが、大部分の人について、日本人から見れば「ルーズ」な感覚を持っているといえるだろう。例えば、大学の先生が私との個人授業に1時間以上遅れてくるのも珍しいことではなかった。電車の到着が1分遅れただけでお詫びのアナウンスが流れる東京から来た人にとって、のんびりとしたミナンカバウ人気質はイライラするものかもしれない。しかし、時間を気にしない生活がどんなに楽であることか。私はインドネシアでの生活をはじめて2ヶ月後には腕時計をしなくなった。「郷に入れば郷に従え」。ジャムカレットな生活が懐かしい。


<伝統家屋"ルマ・ガダン"のモチーフ>
夜のドリアン事件
パダンでの生活をはじめてまだ1ヶ月も経っていないころのことだった。知り合いの夫婦と男子学生が私の大好きなドリアンを持って私のうちに遊びに来てくれたことがあった。とても楽しい夜で、ドリアンもおいしくいただいた。しかし次の日、我が家の電話が鳴り、事態は急変した。うちの裏の住民が、昨晩の様子を一部始終見ていたという。確かに裏庭に通じるドアは開けっ放しにしていたが、隣の家とは高い塀で区切られている。「まさか・・・」という思いであったが、屋根の上から覗いていたらしい。婚前の男女関係にことのほかうるさい社会で、夜中に若い男と一緒にいた私の行動は(他にも人はいたのに)大問題となった。以前、私は近所で病原菌のような存在になった。みな、表向きは親しく振舞うのに、裏では敵視されるといういやらしいパターンだ。私の前に立ちはだかった壁はこれだけではなかった。1年の間に嫌というほど、葛藤があった。自分の中での葛藤と、社会に対する葛藤。インドネシアと日本は「アジア」とひとくくりには出来るが、文化や人々の考え方は大きく異なっていると私は思う。私の場合、西洋文化の中で暮らしたときのほうが受けたショックは少なかった。これは予備知識の差かもしれないと思う。私の暮らしたミナンカバウ社会の本当の側面を私は行くまで知らなかった。故に受けたショックも大きかった。インドネシアは同じアジアといえども、近くて遠い国。私の受けた印象だ。
<市場>
 私にとってのミナンカバウ社会

私がミナンカバウ社会を説明するときによく使う表現は、「人間の欲望が素直すぎるまでに表現された社会」である。人と人の欲のぶつかり合い。あまり美しい図ではない。1年間パダンで暮らす中で理不尽なことだらけだった。社会の現状を嘆きはするが、変える努力はしない人。働いて得るのではなく、楽して富を得ようとする人。他人の手柄を横取りする人。平気で嘘をつく人。人がせっかく作り上げたものをものの見事に壊してしまう人。口ばっかりで行動が伴わない人。自分さえ良ければいいと思っている人。このような人はどこの社会にもいる。しかし、パダンでの生活でこのような人に数多くめぐり合った。特に嘆くだけしかしない人には絶望感を覚えずにはいられなかった。理不尽なことはどの社会にでも存在し、決してミナンカバウ社会だけのことではないが、ミナンカバウ社会でのことを考えると、悔しくて眠れないことが今でもある。私の価値観が全てではないことはわかっている。しかし、頭では分かっているつもりでも、体が拒絶反応を起こす。あまりにも違う価値観に、戸惑い、涙し、憤りを感じた。私の価値観が通用すること、しないことを体で学んだ1年だった。もちろん、正直でモラルがあって心から信頼できる人もたくさんいた。温かい人たちに私は何度となく助けられた。―――ありがとう。

<ミナンカバウ族の子ども(友人の親戚の子)>
 「粉骨砕身」骨を粉々にし身を砕いた1年間

留学から帰ってきて、よく「楽しかった?」と聞かれるが、私は返答に迷う。「楽しかった!」と即答できない自分がいる。実際楽しかったというよりも、辛かったこと、悔しかったことのほうが圧倒的に多かった。

帰国してからずっと体調が優れなかった。環境の変化だろうと思ったが、急激に痩せていき、気が付いたら7キロも痩せていた。おかしいと思い、調べてもらったところ、「自律神経失調症」であることがわかった。あちらではぴんっと張っていた緊張の糸も、日本へ帰ってきたと同時にぷっつりと切れてしまったらしい。今、思い返しても、あの1年は決して順風満帆ではなかった。よそ者の私に対する風当たりは思った以上に強いものだった。しかし、他の人では決して出来なかったであろうこと、私にしか出来なかったこと、私だから出来たことがあったと思う。

留学しようと決めたことに決して後悔はしていない。むしろ、行くと決めて本当によかったと思っている。一筋縄では行かない経験ばかりだったが、あのような経験は誰にでもできるものではない。

経験、しかも他の人がめったに体験しないようなこと。私が大切だと考え、また、生きがいに感じていることである。

ミナンカバウ族と過ごした1年間は、私の自慢であり続けるだろう。

 おわり 

 

 

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