【Fami Mail】 特別寄稿連載  
 
『噛めば噛むほどYale − 胸の高さで見た景色』
〜目次〜 イェール大学留学記
*題名について
Yale University(イェール大学) 林学及び環境学スクール
環境科学修士&開発経済学修士
大司 雄介
<第3回>環境の価値
 『手にあるうちは、重宝しつつも尊ばず、足りぬ、なくすでようやくに値打ちに気付くのが人の常』(ウィリアム・シェークスピア『から騒ぎ』)

 環境問題に取り組む者が、必ず感じるジレンマがあります。

 その一つは環境問題には「不確実性」が伴うことです。
 例えば、森林伐採が進みつつあることは確実にわかっていても、それがどれだけ進んだ時点で生態系システムが崩壊してしまうのか、またその影響がどれほど悲劇的なものであるかは、はっきりとはわからないということです。あらかじめ、この点を越えれば、こういう影響がありますよ、とわかっていれば、人類がそれに対して行動を起こすのは簡単になるのですが、実際はそうではありません。

 二つ目は、一度その「点」を越えてしまうと、緻密な生態系システムを以前の形に戻すことはできないことです。なくなってしまった時点でいくら努力しても遅いのです(これはこの分野では「不可逆性」と呼ばれます)。シェークスピアは「恋」の教訓を上の言葉で語りました。そしてこれは「環境」にもあてはまるのです。つまり、不確実性の大きい中でも、大切なものが失われてしまわないように、先を見越して対策を練っていかねばならないのです。「恋」と「環境問題」で異なるのは、恋に失敗しても、その傷を癒せば、多くの人は次の恋へと足を踏み出せます。しかし環境問題に失敗すれば、その時点でおしまいなのです。つまり、環境問題は、恋と同じくらいに、あるいはそれ以上に難しい命題なのです(!?)。

 そして第三に、環境というものには値札がついていないということです。卵や鉛筆には値札がついていますが、環境にはついていません。これが何を意味するのでしょうか。例えば128円の卵ならば買うけれど、148円の卵なら買わない、という人がいるとします(家計を司る者にとってはこれだって重要な問題です)。128円の卵を買う人は、その卵に128円分の価値を見出しているからこそ、お金を出して買うのですが、148円の価値まではない、と無意識的に判断していることになります。つまりその人にとっての卵の価値は、128円から148円までのどこかに存在することになります。
しかし環境には当然値札はついていません。そのために例えば、同じ「森林」でも、人によって感じる価値は随分と異なってきます。それをどうやって一つの価値として表すか、それが重要になってくるのです。なぜならば○○円というふうに絶対的な値段で表されなければ、森林を他の用途に使用した時の利益と比較できないからです。例えば森林を切り開いて発電所を作ったときの利益と、森林をそのままに保ち続けることの利益を比較することができないのです。

 前置きが長くなってしまいましたが、僕がマダガスカルで行うのは、この第三の問題を解明するための研究です。マダガスカルの国立公園の価値はいくらになるのか?これが主題です。

 来月号からは、マダガスカルにおける研究の様子をお伝えすることになりますが、その前に、僕の研究内容をもう少し説明させてください。

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伝統のYale-Harvard
のフットボールの試合

1年次の始めに行われた
森での研修

森の研修

卵と公園と幻想

 先ほども述べたように、僕の研究は「マダガスカルの国立公園の経済価値」を調べることです。でも、値札のついていない国立公園の価値を、どうやって調べるのでしょうか。

村上春樹は言います。
人々はそれぞれの幻想を求めてどこかに行き、それを手に入れるのだ。彼らはそのためにかなりの額の金を使い、休暇を費やす。それは彼ら自身の金であり、彼ら自身の時間である。だから彼らにはそれを手に入れる正当な権利があるのだ。(『辺境・近境』メキシコ大旅行、新潮文庫より)

 私たちが日々買う128円の卵は、私たちが、私たち自身の時間を費やして稼いだお金を使って買うのです。マダガスカルの(あるいは他の)国立公園を訪れる旅行者が本来的に行っていることは、卵を買う行為とほとんど同じなのです。つまり、自由に使える彼ら自身の予算の中で、彼らは「幻想」を手に入れるために、金を支払うのです。そのため、国立公園の価値を調べるために、旅行者が旅費として支払った額を見ることは、卵の価値を調べるためにその価格を調べることと同じことなのです。
こういうと、あまりに突拍子もない話に聞こえるかもしれませんが、この考えは環境経済学の価値評価という分野のなかでは一般的に用いられているツールなのです。

 つまり、僕が3ヶ月間行うのは、旅行者に話を聞き、国立公園を訪れるために彼らがいくら支払ったかを調べていくのです。
 ちなみに、マダガスカルの国立公園を訪れる旅行者が追い求めている「幻想」とは何でしょうか?それはマダガスカルの持つ特異な生態系です。マダガスカルは、世界でも有数の、生態系の宝庫です。他の国では見ることのできない、動植物がたくさん存在するのです(もう少し詳しい話は、来月にとっておきます)。

 では、どこに行けばできるだけ多くの旅行者に話を聞くことができるのでしょうか。それはその国の玄関口、空港です。多くの国においては、外国とその国を結ぶ空港は一つしかありません。つまり、その空港で待機していれば、その国に出入りする全ての旅行者と会うことができるのです。
こういったわけで、僕はマダガスカルという非常に魅力に溢れた国を訪れるにもかかわらず、3ヶ月のうちの2ヶ月間を空港で過ごすことになりました。「使える」データは決して、楽をしていては手に入らないのです…。

 事前にマダガスカルの関係省庁に連絡を取り、空港内、しかも搭乗手続きをした人だけが入れる待合室で働けるように手配してもいました。これは意外と重要なポイントです。数ページに渡るアンケートを、旅先で好き好んで答える人はなかなか見つかりません。しかし、空港の待合室だけは別です。2時間前に搭乗手続きを済ませた後は、旅行者は手持ち無沙汰になるからです。つまり、「待つ」しかない旅行者にとっては、僕のアンケートだって「エンターテインメント」になり得るのです。

アンケート

 僕は自分の研究に、「アンケート」を用いました。世論調査、市場調査など、様々な用途に使われているアンケートですが、これは実は相当やっかいです。アンケートの実施方法、質問の言い回し、質問者、そういった要因全てが、答えを左右してくるからです。簡潔でかつ、情報を十分に含んでいなければなりません。質問もできる限り中立を保つような言い回しにしなければなりません。

 このアンケートを作るために、僕は毎週毎週、担当教授のもとに通いつめました。「いや、この言い方はやめたほうがいい」「この質問じゃ、わかりにくい」というやりとりが何度も交わされました。

 ある程度形になったところで、模擬テストを友人に行い、その結果からさらに変更、変更の連続。結局、最終的には15回の書き直しを経て、ようやくまともなものが仕上がったのです。

 さらにやっかいなのは、マダガスカルを訪れる旅行者で最も多いのがフランス人、そしてドイツ人、イタリア人、アメリカ人と続きます。そのために、僕は全く同じアンケートを4ヶ国語で準備しなければならなかったのです。しかしこれは、僕の通うF&ESの多様性のおかげで、それぞれの言語を母国語とする人に頼み込んで、翻訳をお願いすることができました。

いざ出発

 こうして僕は今年の初めから、研究の準備に入りました。
 こうして2003年1月から5月のほとんどの時間は、アンケート作り、関連論文の読み込み、研究計画資金集め、マダガスカルで僕を受け入れてくれることになるNGOとの連絡、といった研究準備に費やされました。

 随分と慌しく過ぎた5ヶ月間でしたが、これだけ多くのことを学んだ5ヶ月間はなかったようにも思います。
5月に入ると卒業を間近に控えた2年生と、インターン及び研究を控えた1年生で、F&ES内も落ち着かなくなってきます。そんななか、早いうちにテストを終えた僕は、友人達との別れを悲しみつつアメリカを後にしました。そして、日本で2週間ほど過ごしてからマダガスカルに向かったのです。

2003年12月15日

つづく

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