【Fami Mail】 vol.20 2002.6.17
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「日韓W杯サッカー・1次リーグ観戦記」

=サッカーで100倍 悲しむ(?) 法=   

 
・・・とは言いつつもサッカー「日本代表」を愛してやまないワタクシです。

 2002年FIFAワールドカップ・コリア・ジャパン大会の1次リーグが終了する時点で、とりあえずの中間総括をして欲しいとの原稿依頼を頂きました。しかし、ワタクシに言わせてもらうなら、"中間"も"最終"も"全体"もありません。このたった1回きりの原稿でことは足りるのです。

 はっきりさせておきましょう。
 地元開催の歴史的な今大会において、わが「日本代表」が決勝トーナメントに進出を決めたことで日本国民は挙げて半狂乱状態に陥っていますが、熱狂もここまで。
 まかり間違っても「日本代表」は優勝はおろか、ベスト4進出さえできっこないのです。
 ついでに言っておけば、例え100年後に開催されるワールドカップにおいてすら、日本の優勝はあり得ない。これは断言しておきます。

  「日本人選手の技術やフィジカル、さらに戦術理解能力は年々向上しているではないか。それが証拠に、世界最高峰リーグといわれるセリエAで4年間もトップレベルで活躍しているヒデ・ナカータ(中田英寿選手)をはじめ、オランダリーグの小野伸二選手や今大会で大ブレークした英国プレミアリーグの稲本潤一選手など、世界水準のプレーヤーを次々と輩出している。ワールドカップ出場わずか2度目にしてこれほど急成長の日本代表だ。まして100年後のこと。どうしてお前ごときにそんなことが言えるのか!」

 当然のことながらこういう声が返ってきますよね。それはわかっています。
 でもね、日本は無理なのです。
 それは何故か? 日本には国家の存続を賭して戦う「軍隊」がない。守るべき家族のために、守るべき民族のために命を的にして敵国と戦う「軍隊」がないからなのです。

 サッカーというものは、米国を除く世界の大方の国において常に国民から最も熱い注目を浴びる国技の地位を占めていますが、それだけにとどまるものではありません。
 例えば、ワールドカップをはじめとした大きな国際大会やクラブチーム同士のビッグマッチの際には、あれほど整然としたヨーロッパの国々でさえ政府の閣僚会議が中断される。中南米の"熱い"国々においては、その試合での勝利に対して翌日はいとも簡単に「国民の休日」になってしまったりする。
 さらに言えば、自国やひいきチームが最高の舞台で負けようものなら、殺傷を伴う暴動はおろか、そのショックのあまり心臓マヒによる死者や自殺者が大量に発生するという、サッカーというものはそういう代物なのです。

 かつてわが国で、サッカーゲームの勝ち負けによってサポーターがショック死したという報道があったでしょうか。あの「ドーハの悲劇」の時でさえそういう話は聞かなかった。しかし、世界ではこんなことは日常茶飯事。国威発揚やら自国防衛やらのために機能する「軍隊」を仮に"一軍"とするならば、まさに"二軍"に相当するのがその国のサッカーのナショナルチームに他ならないのです。

 それ故に、ワールドカップの地区予選で双方の国の"二軍"同士が相争っているうちに、やがてそれが"一軍"同士の本物の戦争へと発展してしまうことは何も不思議なことではないのです。1969年、中米のエルサルバドルとホンジュラスの間で起こった戦争もそうでした。後に「サッカー戦争」と名付けられています。

 今大会でも、またあの因縁の試合が、因縁の試合らしく繰り広げられました。アルゼンチン対イングランド戦です。
 1982年、南米大陸南端の島々の領有を巡って勃発したフォークランド紛争以来、ピッチ上でも両国は死闘を演じ、軍事力の差で敗北した戦いの埋め合わせをするかのように、アルゼンチンが連勝していたのです。

 が、6月7日札幌ドームでの対決では0−1で散ってしまいました。その後遺症でしょう。今大会の優勝候補に挙げられていたアルゼンチンは王者・フランスとともに決勝トーナメントを待たずに敢えなく「撤収」、となりました。
 この試合前、世界屈指の司令塔と称されるアルゼンチンのファン・セバスチャン・ヴェーロンは「この戦いは単なるスポーツゲームとはなり得ない。歴史の節目となるに違いない」という主旨のコメントをプレスに発表し、臨戦気分を煽っていました。これが結果的に、深刻な経済危機のなかサッカーに一筋の光明を見出そうとしていたアルゼンチン国民にとってはまさに暗転の節目となる予言となってしまいました。
 といった具合で、サッカーの試合が、国のメンツと力を誇示する本物の戦争とさして変わるところがないということを示す、これらはほんの数例に過ぎません。とても悲しいことですが、これが世界の現実なのです。

  もうひとつだけエピソードを挙げておきますと、今を去ること30有余年、サッカーの母国・英国で開催された1966年第8回ワールドカップ大会でのことです。
 余談ですが、50メートルを5秒台で走り、センターフォワードとして13歳の頃からレギュラーを張っておりましたワタクシが、ちょうど、ブラジルに単身渡って日本人初のプロ選手を目指すか、それともまっとうな人生を送るべく国内で高校に進学するか深く思い悩んでいた中学生の頃のことです。もっとも、無垢な少年のこの野望は、単なる妄想として周囲の心ない大人たちの手によって簡単に葬り去られてしまいましたが…。

 この66年第8回ワールドカップ大会にサッカー未開の地アジアから単独で参加した初出場の朝鮮民主主義人民共和国は並み居る強豪を撃破し、いきなりベスト8に進出したのです。しかも準々決勝では、この大会3位になったポルトガルに逆転負けしたとはいえ前半は一時3-0とリードしたものです。このことは当時、世界中に十分な衝撃を与えました。
 金日成国家主席の下、国軍増強に遇進していた頃の北朝鮮代表が、今現在をも含めアジアで唯一のベスト8進出国であるということは紛れもない事実なのです。
 だから言うのです。100年後のワールドカップで韓国代表チームが優勝することがあっても、また中国がファイナルに進出することがあっても、はたまたフィリピン代表が優勝トロフィーにキスを送ることがあったとしても、わが「日本代表」が優勝することはあり得ないのです。

 こういう世界共通のサッカー文化のなかで産声をあげたわが「日本代表」の監督であるフランス人、フィリップ・トゥルシエは、せめても「日本代表」が今大会で善戦できるよう苦心惨憺の選手選考を行ったのでした。
 世間では、サッカーの何たるかを知らないスポーツ紙やテレビ局のサッカー担当記者やら、にわかサポーターの女子高生やらが「なんでシュンスケを代表に選ばないのヨ〜!!」と、ごうごうたる非難を浴びせました。しかし、ワタクシから見ても彼、中村俊輔クンは一国を代表する"戦士"としての資質に欠けているのです。ピッチという戦場ではことのほか、強いフィジカルと、それ以上に強固なメンタリティーを求められるのは当然のことです。芸能人の人気ランキングではないのです。

 個人的に特にシュンスケ君にはうらみはないのですが、一言で言ってしまえば彼はテレビゲームのサッカーゲームに熱中して勉強を怠っているゲームオタクなのです。あるいはサッカー・ミーハー少年と言ってもいいかもしれません。
 「体力で勝てなくても技術で勝負したい」「自分はトップ下のポジション以外では本当はプレーしたくない」「今度のワールドカップでは、自分のプレーで決定的な場面をつくり世界に認められる選手になるイメージを思い浮かべている」等々の主旨のコメントが多い彼はジコチューと見られてもしかたない。トゥルシエがその理由を明らかにせずに彼を外した訳がもうお分かりでしょう。

 では、世界レベルといわれる中田英寿もサッカー後進国生まれのプレーヤーではないか、と反論があるでしょうが、例えて言うなら中田英寿は、軍隊を持たない日本に生まれてしまった一流の傭兵なのです。
 だから外人部隊として彼は海外クラブで重宝がられ珍重され、つぶされずに通用しているのです。小野や稲本が果たして今後そのレベルに到達するのかどうか、彼らのメンタリティーも含め極めて興味深いことではあります。

 というわけで、沸き立っている「日本代表」サポーターの皆さまには頭から冷水を浴びせるようで誠に心苦しいのですが、以上のような厳粛な事実から導かれる日本サッカーの未来像は、パッとしたものではないのです。

 6月4日、あの韓国の今大会初戦。強豪ポーランドに2−0で勝利したプサン・スタジアムの、地の底から噴き出してくるような、地鳴りのような「韓民族」の叫びを思い出して下さい。あれが国の力というものです。

 残念ながらこの先も日本の優勝はない―。
 ああ、しかし、わが日本国民の皆さま。これは同時に、国権の発動たる戦争の放棄を永久に宣言した日本国憲法第九条を忠実に守り、誠実に民主国家として恒久平和を目指し、粛々として戦後50年を送ってきた日本という国が手に入れた「名誉と誇り」と引き換えに支払う重い重い代償なのです。
 われわれはサッカーの勝利より、国の威信の優先より何より、平和を希求してきた国民なのです。
 "サッカー小国"とさげすまれようと、例えグローバルスタンダードのなかで取り残されていこうとも、その屈辱はしかし、日本の歩んできた道筋の正しさを示す証だと思って、ワタクシはこれからも胸を張って生きていきたいと思います。

2002年6月17日


ボランティア・スポーツ評論家 浪速信三



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