【Fami Mail】 特別寄稿連載 帰国子女子育て記



帰国子女となった子供と共に歩んだ15年

目次                                          海外赴任アドバイザー
        
 黒川 美佐子 
(英国4年半・中国1年半在住経験)

著者HP>海外帰国子女受験体験記
第3回英国での現地校探しからパブリックスクール受験へ

一雨ごとの成長を見る楽しみ


 地主さんからお借りしている家庭菜園の隅で、花壇を始めて今年で3年目となりました。数センチの挿し木苗だった4種類の紫陽花や薔薇の花が一斉に花を咲かせています。一雨ごとに草木がぐんと成長していく様子を見ることは、この季節の一番の楽しみです。

 一年間で、植物がどの程度の背の高さになるかを、予想できれば、ボーダー花壇ももっと簡単にできるのになあ〜と、思います。土の状態、日当たり、など環境の違いで、植物の成長は、なかなか予測どおりにはいかないのです。

 我が家の子供達も、これまで、ぐんと伸びた時期と、一見何の変化も見えず、それどころか、親からみたら、後退しているように見えて仕方がなく、じっと耐えていた時期とに分かれていたように思います。そして、それは、帰国して5年過ぎた今も、続いています。

 私は、子育ての専門家でも、教育者でもないので、この先の我が子達の成長の予想は、今でもできません。ただ、充分な環境を子供に与えて、待ち続けていると、いきなりぐんと伸びる時が来る・・そのことが、どのように伸びるかが、楽しみで、ここまで歩んでこれたように思います。


 未来の我が子の姿を重ねて


 「うちの娘が企画に携わった番組の公開放送があるんだけれど、
  よかったら見に来ない?」
 と、誘われたのでその会場へと出かけました。

 数ヵ月も前からスタッフが、企画、取材などの準備をして、今日が本番、生放送です。それは、地球の環境を守るために、世界中で活躍している日本人達にスポットを当てた番組でした。友人の娘さん達スタッフが、僻地に分け入って、取材してきたビデオが、背景に流れています。ゲストの人達もリラックスして、自分の「思い」を熱く語ります。番組途中、ちょっとした「事故」にひやり、としたり、作成者側の気持ちになって、番組を見せていただいたのは、初めての経験でした。 

 この方のお嬢さんは、アメリカとオーストラリアで11年も過ごした帰国子女で誰の心の中にも直球で飛び込んでいける、そんなお嬢さんです。聞けば、その日のアナウンサーも、帰国子女。

 これまでの地道な積み重ねを、見事に開花させて、仕事へと生かして社会で活躍している、そんな帰国子女の先輩の姿を見せていただくことは、今、子育て真っ最中の母親達の励みになりますね。

 現在のお子様の成績が芳しくない時、その先に待ち構える受験のことがちょっぴり気になり不安になった時、もっと、遠い先の我が子達の未来の姿を、今、活躍している帰国子女の先輩達に重ね合わせてみませんか?そのエネルギーをもらってみませんか?そうすれば、子供達の明るい未来が見えてきませんか?

 自分がくじけそうになった時、今を輝いて、一生懸命生きている子供達を見ているだけで、私自身にも、頑張らなきゃな!という活力が生まれてきます。

 今では、こんなに素敵な先輩達も、幼い頃には、戸惑ったであろう異国での生活・・・そして、その親達も、もちろん、初めての外国で手探り状態だったはずです。そんな状態の中でも、親が見つけて決めなければいけない子供の学校。良い学校に出会えるまで、を、自分達家族の英国生活の中に振り返ってみたい、と思います。


 住む地域にこだわる理由


 英国では、道路一本一本に名前が付いています。地図を見つめていると、その道路に沿って建っている家の形状や雰囲気が、3次元の世界となって浮かび上がってきます。

 その道路周辺では、リスやキツネがいたり小鳥のさえずりが聞こえたりするのか、それとも、車や隣近所の騒音が聞こえてくるのか、また、その通りの住人は、どのような英語を話す人達なのか、どのような体型のどのような髪型や服装を好み、どのような趣味を持つか、まで、日本人でも、英国に長く暮らしていれば、おおまかな予測ができるようになります。

 地域で住み分けがしっかりできている英国。これは、英国ならではの、今でも根強く残る階級社会の影響によるものだと思います。

 英国に到着してから、実際子供達が学校に通い始めるまで、2ヵ月もかかったわけは、住む地域と学校にこだわったからでした。

 私は赴任前、赴任して住居を決めるまで、ロンドンの街中のアパートに住みながら、いろいろなスタイルで暮らしている方から話を聞きました。
我が子は、どのように育てようかな、と、話を聞きながらシュミレーションしていた気がします。

 英国では、不自由なことは少ないのだから、学校は、現地校にしよう!そして、できるだけ英国人と触れ合って、彼らの考え方や文化を親子で体感してみよう!と、決めました。

 一度、身についてしまったら、なかなか矯正が難しい英語の発音のことを考えて、住む地域は、国際結婚をして英国に暮らす友人のアドバイスにより、その地域の方言がイギリス英語としての標準語とされるイングランド南西部、また、ロンドン通勤圏内のサリー州、に決めました。

 さて、いよいよ、学校選びです。


 学校巡り


 無料で教育を受けられる公立小学校に行くか、学費がかなり高い私立小学校に行くか、とにかく自分の眼で見てみないことには、良し悪しは判断できないので、地元の地図を買い、近所の方の評判を聞きながら、学校巡りをしました。

 もちろん、公立小学校も見学しました。英国では、自分で公立小学校を選ぶことができます。その学校の成績も公表されていますので、その地域でもっとも良い、と言われている学校には、当然のことながら、長いウエイティングリストがあります。

 その地域で一番の小学校の校長先生とお話した限りにおいては、敢えて、日本から来た、英語の全く出来ない兄弟を預かって育てようという意欲は、感じられませんでした。また、もちろん、長いウエイティングリストに載っている人達を飛び越して編入させていただくことは、不可能でした。

 その地域の2番手、3番手の公立小学校の校長先生からは、受け入れOKという返事をいただきました。ただ、外国人がほとんど住まない地域だったので、英語が母国語でない生徒の受け入れには、前向きなものは、感じられませんでした。

 「これでは、この学校に入っても、放って置かれるだけだろうなあ〜」

 と、考えあぐねながら、手に持っていた地図のはずれの方の、人気がなさそうな森のほうに眼を向けると、緑一色の中に、学校のマークがあるのを見つけました。

 「これは?」

 それが、長男が2年間、次男が帰国までの4年半、お世話になった私立の小学校でした。何か惹かれるものを感じて、電話してアポイントを取りました。

 訪れてみると、そこは、森の入り口にぽつんとある、田舎の分校のような印象の学校でした。広大な敷地のはじっこに、馬が1頭、繋がれていました。立派な施設=私立学校、と思い込んでいた私には、レンガを積み上げただけの平屋の飾りっ気のない校舎は、驚きの佇まいでした。


 出入り口に校長室がある学校


 この学校の校長先生に初めてお会いした時のその瞬間は、今でも忘れられません。

 「Hello! Come in!」

 校舎に入るなり、温かい笑顔で迎えてくれたのは、他でもない校長先生でした。

 学校の校長室というのは、学校の奥まったところにあり、校長先生というのは、なかなか会うことの出来ない人だと疑いもなく思い込んでいましたが、この学校の校長室は、出入り口の正面にありました。

 よほどプライベートな話でない限り、ドアはいつも開け放たれてあり、生徒も父兄も校長に会わずして学校に入ることはできないようになっています。だから、生徒の状況、行動、体調まで全てを把握している、そんな校長先生でした。校長が率先してフレンドリーを心がけている学校ですから、先生も父兄も生徒も、一体となって、学校を成長させていこう、という、大変まとまりの良い学校でした。

 この校長先生が、日本人に対して理解があったこと、1学年1クラス20人以下に設定して生徒全員に眼を配り、良い英語を身につけさせる、ということが目標であること、これまでには経験はないが、英語が全くできない生徒を受け入れて育ててみよう、と、非常に前向きであったこと、長男の学年のクラスは、たった10人ほどだったこと、次男の学年は、ちょうど、1年生が始まって数ヵ月しか経っていなかったこと・・そして、外国人の私達に、声をかけてくださったフレンドリーなお母様方が多かったこと・・など、いくつかの偶然と条件が重なって、この学校にお世話になろう、と決めたのでした。

 この校長先生はもちろんのこと、学校で知り合った方々が、英国滞在中の4年半の子供達の学校生活を思い出深いものにするのに、どれほど貢献してくださったか・・出会い、とは、本当に不思議なものです。


 英語と愛情のシャワー


 良いイギリス英語を学ぼうとするならば、学校選びは、非常に大切な要素です。英語に対して、まっさらな子供達が、これから、勢いよく英語というシャワーを浴びるのですから、それ次第で何色にも染まるものだと思います。子供達の頭の中で混乱が生じないように、学校で学ぶ英語と、テレビから聞こえてくる英語と、日常、お友達や先生から耳にする英語の発音が、できるだけ同じになるような環境を整えてあげることに、心を配りました。             サッカークラブー学校の校庭にて
 
 学校も努力してくれました。長男のクラスの社会の授業では、1学期間、日本の地理、歴史を授業内容に組み込んでくれました。英語のわからない2人の子供達には、母親達がボランティアで本を読んでくれたり、スーパーに連れて行って物の名前を教えてくれたり、友人宅へお泊りしながら、英国人との触れ合いを通して英国を知る、そういう地道な繰り返しの日々でした。

 スポーツは、学校のアクティビティーであるサッカーと柔道とアスレティックジムに参加していました。サッカーは、日本で地域のサッカーチームに入っていた経験が生きました。また、柔道に関しては、学校以外にも、外部の柔道の道場にも通いました。日本人と日本語を尊敬して下さっていた柔道の先生のおかげで、初心者ながらも、子供達は、充実した時を過ごすことができました。

 「日本って、意外とイケる国だったんだ!日本人ってもしかしてすごい?」

 はらはらしながら子供達を見守っていた順応までの時期・・・

 柔道用語をたどたどしく発音する英国人達に、日本語の正しい発音を教えているちょっと自慢げで嬉しそうな子供達の様子を見ることができた道場での時間は、親の私にとっても、ホっとして笑みのこぼれるひと時でした。

 スポーツを通しての触れ合いでは、子供達同士が言葉を介することなく、肌でお互いを感じあうことができました。サッカーや柔道が、言葉の不自由な時期に、どれだけ子供達の心身を健康に保つために、役に立ったか、計り知れません。


 回転していくその先には


 渡英後、半年ほどして、英語を意思疎通の道具として使えるようになった頃からは、本当に、子供達は、幸せな時間を過ごしていました。

 このまま引き続き、この先も、楽しい時間を過ごすことができる幼い次男に較べて、9歳で渡英して10歳になろうとする、小学校の高学年に向かおうとしていた長男には、やらなければいけないけれど、棚上げにしておいた事がたくさんありました。

 その一つが、11歳で受験する11プラスです。私立コースでは、受験の壁を乗り越えないと、私立中学には進学できません。私立小学校のプレパラートリースクールから11プラスという英国の受験を経験し、名門といわれるパブリックスクールという新しい世界に飛び込む・・・その準備をしなければいけない年齢に差し掛かってきました。

 せっかく回転して軌道に乗っていた日常を、また、軌道修正しなければならなくなってしまいました。赴任から帰国まで一気に駆け抜けた4年半。その間、戸惑って停滞する子供を傍らで励ましながら、1年毎に、微妙に方向修正する、という、そんな繰り返しでした。


 
弱点をアイテムに


 英国の現地校に子供を入れてみて感じたことは、英国で進学するに当たっては、その校長先生自身の人脈、が非常に大切だということです。

 校長先生に信頼してもらえる生徒であれば、希望校に進学できる可能性は、非常に高くなります。幸い、この校長先生は、パブリックスクールから大学へ進学、クリケットのプロの選手だった、という経歴をお持ちだったので、顔が広く、我が子の進学先を決めるために、尽力してくださいました。

 そのおかげで、英語が母国語でない我が子でも、どの学校になら進学できるか?というよりも、少し背伸びして、成長した我が子をイメージして、どの学校なら、我が子が学校に貢献できるか?我が子をより伸ばしてくれるか?という視点で、学校選びをすることができました。

 受験に際して、我が子の特徴は何だろうか?と、考えた時に、一番の特徴は、日本人である、ということでした。英語が母国語ではない、という点では、確かにそれは弱点でしたが、どんな環境にも順応することができ、とても手先の器用な国民である、という点では、私達の祖先に感謝しなければいけない、と思うくらい、英国の子供達より優れていました。数学が得意、というのも、日本の教育のおかげだった、と思います。

 その手先の器用さを生かすために、渡英してから、1年ほど休んでいたヴァイオリンを再開しました。細かい手先の動きが要求される弦楽器やピアノは、管楽器に較べて、英国の子供達には、難しい楽器のようでした。

 結局、日本語と英語が両方できるバイリンガルであることを生かすために、日本語教育に力を入れている学校を第一志望としました。これは、柔道の経験からしても、その学校にとって、日本人が在籍することは、他の生徒達の良い刺激になるでしょうし、また、将来、学友達が日本に関わる仕事をする可能性があるかもしれない、帰国してからも付き合える友人ができるかもしれない?という期待感からでした。


 私立現地校ーパブリックスクールー受験に向けて

 5歳で渡英して約半年で不自由なく英語を話せるようになった幼い次男とは異なり、9歳だった長男は、英語と学校に慣れるのに、約1年かかりました。
その後の1年かけて、今度は、音楽と英語の両輪での学習となりました。

 学校と家庭での現地校入試にむけての勉強、ヴァイオリンとピアノの楽器のレッスン、楽典、数ヵ月に一回の英国王立音楽検定(アソシエット・ボード、サッカー、柔道の試合、友人との遊び、そして、これがまた、後に問題となってしまうのですがー付け足し程度の日本語の家庭学習ーと、大忙しの1年間となりました。

 子供の友人のお母さんが、1人見るのも、2人みるのも、変わらないから、と言って、自分の子と一緒に並べて、特に英語の作文力を育ててくれました。我が子が、ウイットに富んだ文章を書けるようになったのも、帰国してから英語の力が伸び続けたのも、このお母さんのおかげだと思っています。

 学校の先生方の献身的な努力はもちろんのこと、同じ学校に進学したい、という思いで勉強するお友達、英語の家庭教師の先生、第1楽器のヴァイオリンの先生、そのピアノのレッスンの傍ら、楽典の試験にも合格する力もつけてくださった第2楽器のピアノの先生など、本当に良い人の輪に恵まれ、また、助けられました。

 受験結果は、公立コースの進学先のグラマースクールと、私立コースの進学先のパブリックスクール2校から、ミュージックスカラーとして合格、という、2年前の渡英時には、考えもしなかった結果となりました。結局、創立800年という歴史を持つ、日本語教育に力を入れていたパブリックスクールに進学を決めました。


 マイナスの経験も、できるだけプラスに


 渡英して4年半の間、もちろん、良いことばかりではありません。いろいろなことがありました。

 全く名前も聞いたことのない学校からFAXとお電話をいただいた時には、驚きました。同じ小学校を卒業したある子が、我が子の名を使い、その子が進学した中学校に、嫌がらせのFAXを送りつけたのでした。ただ、多くの俗語を含むその文面が、外国人である我が子達の語彙には、全く、ないものだったのが、不幸中の幸いでした。すぐに、そのFAXを持って、校長先生に相談しました。
                                  英国サリー州の住宅街
 「彼は、親が離婚して、精神が不安定なのだろう。
 いつも、友達に囲まれている彼がうらやましかったんだろう。
 私に任せてください。」
 と、おっしゃり、解決してくださいました。

 英国人夫婦の離婚率は、高いようです。そのために、幼い子供は、父親と母親の家を行ったり来たりして過ごさなければなりません。曜日ごとに帰る家が異なる子供もいました。平日は、お母さんの家、週末は、お父さんの家に行っていた子供もいました。

 そんな子供から見たら、最初は全然英語での意思疎通もできなくて可哀想、と手を差し伸べたくなるような、日本人の子が、いつのまにか自分を飛び越えて成長してしまったことが、とても、うらやましかったのでしょう。その子の心が痛いほどわかり、私は、その子を責めることは、できませんでした。

 また、パブリックスクールに合格した時には、こういうことを言われたこともあります。

 「いずれ、母国に戻る日本人の子が、
  スカラシップをもらって英国の学校に進学するのはおかしい。
  この国に残って、この国のための人材になる英国人に
  そのポストは譲り渡すべきだ。」 と。

 このように、英国人の日本人に対する感じ方の一端を垣間見るような経験をすることもあります。信頼する英国人から言われた時には、正直、辛く感じたこともあります。

 また、英国に在住したならば、労働者階級と言われている人達から街中で受ける心無い人種差別は、好むと好まざるとにかかわらず、誰もが一度や二度は経験することだと思います。その他、戦争に関することでも、答えに窮する場面も多々あると思います。

 でも、それを、マイナスのものと受け取るのではなく、その経験から得たことが自分のプラスになるように、転化させていきたい、と、思っています。

 たとえ、想像もしないような心ないことを言われたとしても、何かの行き違いで困ったことが起きたとしても、自分の行動を省み、それでまた、自分の人生観が少しだけでも良い方向に変わっていくきっかけになる、と信じています。多少のことでは凹まない・・・そういう生き方ができればなあ、と、思っています。




                                      2005年 6月15日

                                               つづく



著者HP>海外帰国子女受験体験記


帰国子女となった子供と共に歩んだ15年

 帰国子女子育て記   目次






Copyright(C)2005 Misako Kurokawa  All Rights Reserved.