【Fami Mail】 特別寄稿連載  
 
『噛めば噛むほどYale − 胸の高さで見た景色』
〜目次〜 イェール大学留学記
*題名について
Yale University(イェール大学) 林学及び環境学スクール
環境科学修士&開発経済学修士
大司 雄介
<第2回>アメリカの大学院
 先月は、僕がアメリカのYale(イェール)大学FESで環境の勉強をしていることを書きました。
でもこれも考えてみればおかしなものですよね?アメリカ政府は、地球温暖化に対応するためのルールを定めた京都議定書から脱退したことからもわかるとおり、自国にとって不利益になるような環境問題には、極めて不誠実な態度で挑んでいます。またアメリカ国民は平均して日本人の二倍のエネルギーを使用して生活しています。二酸化炭素排出に至っては、アメリカは日本の4倍以上です。
 こんなアメリカで環境問題を学ぶのは矛盾していないの?という声が聞こえてきそうです。

 確かにアメリカ政府、アメリカ社会の環境への取り組みは、お世辞にも褒められたものではありません。しかし学問の世界は違うと思うのです。
 僕はアメリカの高等教育は、世界の中でもトップレベルに位置していると思っています。日本の大学・大学院教育と比べると、その差は歴然としているように思います。環境という学問に限っていえば、その差はさらに広がるように思います。僕は、どうせ学ぶのであれば、世界の中でも最高峰のところで学びたいと思って、はるばるアメリカまでやってきたのです。
そして、こちらに来て1年とわずかの間に、その思いを再確認させるような出来事がいくつもありました。

環境経済学
 その前に、僕が環境問題のどんなことを勉強しているのか、もう少し説明させてください。
僕は環境経済学と呼ばれる分野を中心に勉強しています。環境経済学とは、地球環境と人間の経済活動の相互関係を明らかにしていく学問です。
具体的な例を挙げると、日本が京都議定書で定められた、二酸化炭素の6%削減を行うと経済活動にどういう影響が出るのか、あるいはもっと身近な例で言えば、スーパーでもらうレジ袋に1枚5円の税金をかけるとどのような効果がでるのか、などは環境経済学者が答えるべき問題の一つです。
さらには、環境ってお金にするといくらなの、という疑問も、哲学者への問いであると同時に、環境経済学者への問いでもあります。
そしてこの『環境っていくらなの?』という命題が僕の研究テーマでもあるのです。
リサーチ/インターン
 僕の在籍するFESでは、1年目と2年目の間の3ヶ月の夏休みに、インターンシップかリサーチ活動を行うことが義務付けられています。8割近い学生はインターンシップを選択するのですが、僕はリサーチをすることに決めました。
 というのも、僕は将来、アカデミックな世界で次世代の若者に知識を伝えていく仕事をしたいと考えているからです。そしてたとえ環境経済学者になるにしても、エアコンの効いた研究室しか知らない学者にはなりたくなかったからです。そのために、僕は実際にフィールドに出て、研究を行うことにしたのです。

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Yale大学風景

FES

FES内の張り紙

アメリカが
イラク戦争を始める前に、
FESのマスコットに
飾られたメッセージ

ニューヘブン入り口

筆者アパート

研究準備<資金編>
 こうして僕は今年の初めから、研究の準備に入りました。
 まず行わなければいけないのは、研究にかかる費用を捻出することです。
研究活動には多額の費用がかかります。多くの人が考えている以上の費用がかかります。年単位の研究になると1千万円単位のお金が動くこともあります。渡航費に加え、現地での生活費、リサーチアシスタント・通訳の給料、その他諸費用を全て自分でまかなわなければならないのです。そして大学院生は、ジョー・ディマジオが最高の野球選手であったのと同じくらい確実に、お金を持っていません。
 そこで、アメリカの学生は研究を行うにあたり、数々の民間企業、非営利の基金団体に資金提供をお願いするのです。アメリカには、このような、学生の研究補助のために資金を提供してくれる団体が数多く存在します。それらの団体に、自分の研究計画書を送り、研究が有用であると認められれば、数万円から時に数百万円の資金を無償で付与されるのです。
 日本においては、名の知れた教授がそのような研究費を与えられることはあっても、学生の研究のために出資をしてくれる団体は非常に限られているのではないでしょうか。
では、そうした団体が多額の費用を出資することのメリットは何なのでしょう?
一つには、学生が論文を出版する時に、『この研究は○○団体の出資によって行われました』的な一文が掲載されるために、その団体の社会的知名度・貢献度が認められるというものがあります。
しかし僕が思うに、一番の理由は、純粋な『援助』の精神ではないかと思います。
 アメリカでは、政府のみならず、社会全体が「学生を育てよう」という意識を有しているように感じます。アメリカに優秀な人材が絶えることなく流入し続けるのも、この要因が大きいのではないかと思います。僕がアメリカへ渡ることを決めたのも、日本にはほとんど存在しないと言っていい、この意識があるからでした(僕が優秀かどうかは別として…)。日本では、学力低下が叫ばれて久しいですが、どれだけ大学・予備校等の当事者が頑張っても、社会全体で「学生は国の宝だ」という雰囲気を育てない限りは、日本の教育界を発展させていくのは難しいのではないでしょうか。
 こうして僕は、数々の資金団体に研究計画書を送ることで、自分の研究費用を賄うことができました。
研究準備<情報編>
 お金に目処がついたら、次にやるべきことは、どこで、どんなリサーチをするかを考えることです。
ここでもアメリカの教育システムに大いに助けられました。
まずはアメリカの大学院の多様性です。僕の在籍するFESは学生の3割が外国人学生です。そして各個人が、本当に多様なバックグラウンドを持っています。そうしたネットワークが、僕の研究地を決定付けました。
 ある日、マダガスカルから来ているクラスメートの女の子に、「自分は環境の価値評価の研究に興味がある」ということを何気なく話していると、彼女が「自分が以前働いていたNGOそのような研究をしている」と言われました。そして彼女の紹介を受けることで、僕の研究の受け入れ先はあっけなく決まり、夏の予定もトントン拍子に進んでいったのです。
僕以外にも、アジア、南米から来ている友人のネットワークを利用して、リサーチやインターンが決まった人が大勢いました。
 マダガスカルで研究をすることが決まれば、その地の情報を集めなければなりません。情報と言っても、ガイドブックに載っているような情報ではなくて、自分の研究に役立つような情報です。正直に白状すれば、僕はマダガスカルなんて、名前と地図上の位置くらいしか知りませんでした。そういう国で行われた過去の研究などは、比較的数が限られていたり、古すぎて参考にならなかったりすることがしばしばあります。
こうした状況の中で、再び僕は、アメリカの教育システムに救われることになります。
ある日、僕のもとに、僕のアドバイザーからメールが届きました。その内容は、政治科学学部の教授にマダガスカルでリサーチをした人がいるから会ってみたらどうか、というものでした。その教授にメールを送ると、快く面談を申し出てくれました。
 面談当日までに彼の書いた論文を何度も読み込みました。馬鹿げた質問などしないためです。彼は博士論文執筆のためにマダガスカルで数年にわたり研究を行ったのですが、彼の論文は、僕の研究にとっても非常に役立つ情報をたくさん含んでいました。会って、もう少し余分に情報がもらえればいいな、くらいの気持ちで会いに行ったのですが、結論から言えば、彼が数年かけて集めたデータを、全て「ポン」とくれたのでです。しかも、今日初めて会った学生に、です。
 僕は感激しました。松岡修三じゃないけど感激しました。僕はこの頃までには気付いていたのですが、データ収集にはお金と労力がかかります。上に書いたお金だけでなく、フィールドでの蚊の大群や、コレラの危険や、そういった諸々の問題を超えてようやく「役立つ」データというものは収集できるのです。
 さらなる手助けは、Yale大学の外部からやってきました。
マダガスカルの研究においてパイオニア的役割を果たしているのが、ニューヨーク州立大学で教鞭を取っているパトリシア・ライト教授です。情報不足に悩んでいた僕は、彼女に電話をして、マダガスカルについて色々聞くことにしました。
 約束の日当日、僕は緊張しながら彼女の研究室に電話をかけました。すると彼女は、「Yaleからここまで2時間なんだから、こちらに来ないか」と申し出てくれたのです。
結局、ライト教授の大学訪問は一回にとどまらず、わずか2ヶ月の間に四回もニューヨークとコネチカットを往復することとなりました。
 彼女から得た情報は、他では絶対に手に入れることのできない貴重なものばかりでした。彼女と会わなければ、完全な情報不足の状況で現地へ向かうことになるところでした。

 準備過程における、こうした多くの人のサポートを受けていると、アメリカの教育システムの懐の深さというものを考えないわけにはいきませんでした。こちらでは、学生に対するサポートは非常に手厚いのです。学ぼうとする学生に対しては、教授は持つ物全てを、全力で提供してくれます。それがたとえ、違う大学の学生にであっても、です。
 翻って日本ではどうでしょうか。ある大学の学生に、他の大学の教授がここまでのサポートをしてくれるでしょうか。日本の場合、大学教授は「学者」と「教育者」に二分されるような気がします。アメリカの場合、その両方を兼ね備えた教授が、より多く存在するように感じるのです。
僕の研究の準備は、こういった数々の人のバックアップなしには到底進むことはなかっただろうと思います。

2003/11/17

〜目次〜 <第1回> 
つづく

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