2001年から2005年の5年間は、いわゆるグローバル化の荒波が企業を襲い、ことの良し悪しは別として企業と、それを取り巻く環境が大きく変わらざるを得なかった期間である。他方、少子化の影響からか、中高年でも出張・駐在赴任渡航が増加してきている。因みに1994年対2004年の男性渡航者数の全渡航者に対する割合の比較では、20代が15.3%対14.3%と減少傾向であるが、50代は15.9%対21.2%と大幅増加傾向である。(法務省出入国管理統計)
リストラと競争激化で勤務環境がハードになり、担務する業務の質と量が変わってもやはり人々は頑張っているのである。カーエレクトロニクスメーカーに勤務するY氏(52才)は、人間ドックで高血圧と高脂血症でメタボリックシンドロームといわれていたが、生活習慣は変えることが難しく、男の厄年は終わったから大丈夫であろうと思っていた。3年間の米国駐在が昨年終了し、久しぶりに家族との生活に戻っていたが突然ロサンゼルス出張を命じられた。現地で問題が発生し、事情がよく分かっているY氏に対処の白羽の矢が刺さったのであった。Y氏は、緊急に渡米して原因調査実施と対策を講じ、自ら顧客対応を行い、凡そ2週間で解決の目途をつけた。頑張りつづけてようやく帰国の途についたY氏であった。ビジネスクラスの機内でワインをあおるように飲み、寝不足を回復するように深い眠りについた。数時間の後、目が覚めるとアンカレッジ付近であったが、喉が渇いたのでビールを頼み、機内食を食べ始めた。ビールは美味く、空腹であったため食事も進んだ。その直後Y氏はテーブルに突っ伏すように倒れた。
そのとき、横の座席にいた人がY氏の様子の変化に気づいて機内アテンダントを呼んだ。
隣席の米国人男性は、食べ物を喉に詰まらせたと思ったらしい。機内アテンダントはY氏を通路に横たえ、口から食べ物を取り出したが、弱い呼吸があったため窒息したのではないと判断し、機長に報告をした。機長は、Y氏が意識不明であることとその状態を考慮し、アンカレッジ空港への緊急着陸を決めた。空港では救急車が待っていて、そのまま空港近くの病院のERに運ばれた。検査と応急処置が行われた結果、原因は「蜘蛛膜下出血」とのことであった。Y氏は重篤な状態が続き、2日後日本からY夫人と長男I氏が救援に駆けつけたが、主治医は、「呼吸の状態が低下しつつあるので近いうちに脳死判定の時が来る。」と説明した。その翌日、Y氏は家族に看取られながら息を引き取った。Y夫人は、「長いこと働いてリストラの嵐を超え、単身赴任も乗り越えて、やっとこれからと思っていたのに・・・。」と泣き崩れた。
保険会社の対応は、ご家族と共にY氏の帰国搬送の手配を行い、ご自宅までお届けして終了した。本件は、生活習慣病と過労と飲酒が重なって発病したものと推測されるが、その要件のどれかが欠けていたら発病まで至らなかった可能性がある。そう考えるとY氏の死は、寿命などではなく、人災のように思えてならない。ある程度の年齢からは、太りすぎに気をつけることも必要であるが、最も大切なことは疲れ過ぎないように考えることであり、そうすることで少しでも長生きが出来るのではないだろうか。
『過労は万病の元である。』
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