古都のできごと |
|
神聖ローマ帝国の時代に既にヨーロッパ第2の都であって、その後1000年以上も文化や経済の中心であり続けたことにより、その時代ごとの美しい建築物を今に残した美しい街プラハは、日本でいえばさしずめ奈良・京都であろうか、今日もヨーロッパ中から団体がたくさん訪れている。 |
|
カレル橋の彫刻をはじめとして、高い創造性と芸術性は、街全体の造りからひとつひとつの建物、そしてレストランやお店の内装まで溢れている。一方、科学技術でも先進国であり、コンタクトレンズや船のスクリュー、電子レンジなどを発明したのもこの国のひとである。デザイナーのA氏は、小説「プラハの春」を読んで以来チェコ共和国とその人々に強い興味をもち、次の仕事の構想を練るためパリ経由で到着した。 |
|
12日間の周遊予定で、到着当日はゆっくりピルゼンビールとまぼろしのモラビアワインで、日本人の嗜好にも合う郷土料理を楽しんだ。翌日は市内観光をして、流石の建造物から そのレリーフ、彫像を見て回った。その後、国立博物館の内装をスケッチしていた時、突然経験のない激しい腹痛、というより背中の痛みを覚えたA氏は、公衆電話にカードをいれて00を回し、国際電話で海外旅行保険の会社のサービスデスクに助けを求めた。 |
|
知らせを受けたウィーンデスクでは、うめきながら電話をしてきたお客さまに驚いたが、近くのキャッシュレス提携病院 DC Mediscan を紹介した。入院したA氏は各種検査を受け、診断の結果腎臓結石とのことで点滴・投薬治療を受けて回復退院し、その後のウィーン・パリ見学の日程を消化して予定通り12日目に帰国した。 |
|
病気などしたことがなかったA氏は、外国での入院も良い経験と思ったものの、入院して、隣の人達の会話が皆目わからないのと、書いてある文字が読めないことがこれほどこたえるとは思わなかった。幸い医師は、米国留学を経験しており、また、看護師や一般の入院患者の多くが英語を話せたので救われたが、コミュニケーションが全く取れない環境で入院したら、と思うと背筋が寒くなる思いであった。 |
|
幸い,2日間の入院で痛みは軽快し、退院となったが、本件の治療費は、救急車代E.160を含め E.1171.4であった。これらは、海外旅行保険会社が直接支払ってくれ、自分では処方箋の薬代を立て替えただけであった。 |
|
その後の目的地のウィーンとパリを訪れたが、幸い以降の都市では症状が出ずに済み、無事に帰国できたが、日常気づかなかった『文字が読め、言葉が通じる』ことの大切さ、重要さが、改めてよくわかったという。
|