古来より、『親しき仲にも礼儀あり』の重要性は指摘されているが、それは現代のような権利義務の意識ではない古い時代での作法であった。まして今日は、それが善意であっても一歩誤ると訴訟になることが当たり前の時代である。従ってトラブルを超えて友情や人間関係を保つためには、それなりのリスクマネージメントが必要である。
一般的に現地日本人駐在員仲間は仲がよい。公私に渡り御互いに情報交換したり助け合ったりしているから当然であろう。また趣味が同じであれば尚更である。上海に進出した企業の駐在員同志のY氏とS氏は、日本人が多く住む地区のマンションで自宅も近く、趣味もゴルフと同じ、仕事でも共通点が多く大いに意気投合して楽しい毎日を過ごしていた。
1月下旬のある日、マイレージが貯まった二人は2週間のホームリーブを取り夫人達と4名でハワイ4泊、日本で8泊の予定で出発した。毎日を楽しく過ごして4日目には、天道虫マークで有名なKゴルフ場でプレーした。このゴルフ場は1年を通じて天気がよく景観の素晴らしいことでも有名で、日本人観光客が多く訪れるところのひとつである。
4人はラウンドしながらサンドウィッチとビールを楽しんだ。日本のようにハーフでレストランに行き食事をする人は少なく、スタート時に飲み物食べ物を購入して休まずにラウンドをする。インコースに入り、連日のラウンドで少々疲れがでてきた所為か、中年のY氏より30代のS氏の方が元気である。何ホール目かでY氏はスウィングに納得できない点があり、S氏が次のTグラウンドに向った後も素振りをして調整をした。その後左側に5番アイアンを斜めに置いてカートの左運転席に座り、夫人を乗せてS氏を追った。
ブラインドを曲がると、下りのカート道の前方が次のTグラウンドであり、その手前でS氏はカートの後ろに立ってクラブの選択をしていた。Y氏が停止しようと軽くブレーキを踏むとガキッと抵抗があり、思うように踏み込めず制動も充分に利かない。慌ててブレーキペダルを踏み直すも抵抗が無くならない。S氏はどんどん近づいて来る。止まらない!Y氏の悲鳴に振り向いたS氏は「あっ!」と思った途端右足に激しいショックと脳天を突くような痛みが走った。S氏は、マーシャルの呼んだ救急車でQ病院のERに運ばれた。診察の結果、右頚骨腓骨開放性粉砕骨折であった。つまり脛の足首に近い部分の骨と後ろ側の細い骨の骨折であった。治療には入院2ヶ月、通院リハビリ2ヶ月を要するものであった。
また、後遺障害として足関節の機能障害が残った。原因はY氏の5番アイアンのヘッドが走っているうちにブレーキペダルの下に移動して、ブレーキを踏んだ際にペダルが充分に降りるのを妨げていたことが判明した。
楽しい旅行が、一瞬にして混乱と悲しみに包まれ、次第に二組の夫婦の間に気まずい雰囲気が発生してきた。これを救ったのが保険会社のホノルル駐在員Sであった。4人とも同じ保険会社の海外駐在員保険と海外旅行傷害保険に加入していた。Sは、事故の報告を受けると病院に駆けつけ、てきぱきと治療費の支払保証を行うとともに、医師との間にたって傷害の説明をしてくれた。そのときにS氏の保険で支払われるものの説明に加えて、Y氏の損害賠償責任についても明確に説明を行い、「Y氏の法律上の賠償責任は保険会社が支払うので、Y氏を間に入れないでS氏と保険会社で話し合いましょう。」と説明をした。それまでY氏は、S氏と加害者・被害者となってつらい話し合いを行わなければならないことを憂慮し、S氏は、いくら親しくてもこれだけの損害を黙っているわ訳にはいかないことに苦慮していた。それを保険が救ってくれたのである。S氏としても損害賠償問題は理屈の話として、Y氏ではなく保険会社に対してであれば遠慮なく主張すべきことを主張できるし、保険会社も客観的な立場で見てくれる。自分で負担すべきものは自分の保険がある。それらが同じ会社であることにより、どちらの保険会社がどれだけ負担するかの問題もなく、極めてスムーズに手続きと話し合いが進み、Y氏はS氏に充分お詫びをしただけで、金銭的にはもめることなく解決した。
結果として二人の友情は壊れなかったのである。 |