日本では、大したことがないことの比喩に『蚊に刺されたほどのこともない。』という。それだけ日本の蚊は害が少ないのである。日本の自然環境と衛生環境とが相俟って、蚊の発生と有害性を低減化していることの証でもあろう。
痒いだけの蚊は怖いものではないが、その国(日本)から熱帯の国へ行く人は自身の健康管理を行うための準備をする必要がある。しかし、欧米人と比較して出発前にトラベルメディスンの専門医の指導を受けて渡航する日本人の割合はかなり低い。また、予防接種を受けている人の割合も当然ながら低い。このため、準備があれば軽くて済む病気でも重症化して大変な思いをする例があとを絶たない。欧米人は植民地を持っていた時代に風土病の恐ろしさと対策の必要性を、身をもって知った歴史があり今も注意深い。
O大学のT氏は、カンボジア・ボランティアワーク研修一行の学生7名を引率してプノンペン経由プレイベーン州リング村のある学校に滞在していた。T氏はO大学の海外検収プログラムの危機管理担当者で海外緊急対応の知識も経験も豊かであった。このことが結果的に幸いしたのである。プノンペンではポルポト時代の負の遺跡を見学し、村では純真無垢な生徒たちとの交流を行った。豊かな日本から世界最貧国に入り、その中で懸命に復興を図っている現状を直接見た学生は、教室での講義とは異なった衝撃を受け徐々に目が変わっていった。 T氏は直接現場に行く海外フィールドワークの醍醐味を感じていた。その頃、いつも元気な女子学生のI子さんが彼女らしくないので聞くと「疲れたのか、熱っぽくてだるいのです。」という。もしやと思って注意していたが、熱が下がらないため、ワクチンのない熱病では・・・と不安になり、急遽予定を半日早めてプノンペンに戻り、I子さんをインターナショナルSOSクリニックに連れて行った。検査の結果、血小板と白血球の値が減少し、デング熱の疑いがあるとのことであった。劇症であれば死に至る可能性もある熱病であり、治療可能なところはシンガポールかバンコクしかない。I子さん家族の同意を得た上で保険会社と主治医と打ち合わせたT氏は、大学とも相談し他学生の研修日程消化のための同行をJTBの現地ガイドに依頼し、自身はI子さんに付き添って、二時間後にはバンコク行きの飛行機の中にいた。バンコクでは保険会社の手配で最も大きいバムランラード・ホスピタルに予約が取られていた。この病院は日本には無い型の施設で、病院とホテルのデパートを合わせたようなものである。大変居心地は良いが、「海外の医療は営利産業である。」ことを実感する。建物の廊下を端から端まで歩くと直線で200m近くあるように思える。医療も一流であるが、費用も高い。しかし保険会社が払ってくれるので安心して治療を受けることが出来た。保険会社によりプノンペンでのSOSクリニックのDischargeSummary(詳細な医療経過報告書)が主治医に届いており、I子さんは追加の検査を行った後、ホテルのスウィートルームのような病室で24時間点滴を受けた。2日目には熱が下がり始め3日目には状況が改善して食欲も出た。再度検査を行い、その結果夜には退院可との診断が出た。I子さんは回復し、お土産も何も買えなかったからと、病院内のショッピングアーケードで買い物に夢中になった。
T氏は本当にほっとした。大学の危機管理を指導する立場であったが、自ら引率した中で発生することには驚いたが、学生達にも危機管理を経験させることが出来て却って良かったとも思った。
その夜、T氏はI子さんを連れてタクシーでバンコク空港へ向い、出国手続きを終えてタイ航空の日本帰国便出発ゲートに行くと、フィールドワークを終えたO大学の一行が搭乗を待っていた。その内の一人がT氏とI子さんの姿を見つけて「アッ!」というと、すぐに大歓声に変わり、劇的な対面となった。
帰国後I子さんは何も無かったように元気である。その後バムランラード病院から送られてきた検査結果では、デング熱の抗体は陰性であった。本当に良かったと胸を撫で下ろしたが、張り詰めた緊張が解け、ドッと疲れが出たT氏であった。 |