親の老化が子の心配事であることは、日本にいても外国にいても同じである。駐在員のための『NPO法人、海を越えるケアの手』などの活動もあるが、老齢の親が一人暮らしの場合に引き取るか、日本に置くかは難しい判断が求められる。
最近母親のRさん(79歳)が急激に衰えてきたように思え、何かと心配な一人息子のT氏であった。親戚の叔母が近くに住んでいて心強かったが、昨年夏に急逝してしまった。今回T氏は、二度目の米国駐在であるが、会社では重要な立場であり、帰国して親の面倒を見ることはできない。そこで、夫人と相談して米国に引き取り、家族の中でRさんを過ごさせることにした。Rさんも息子夫婦の温かい言葉に、初めての異国での生活に不安を覚えながらも同意したのであった。T夫人が引き取りのために帰国し、Rさんを伴い渡米して新しい生活が始まった。家族に温かく見守られ、何不自由ない生活ではあったが、数ヶ月してRさんは次第に体の変調を訴えるようになった。T夫人(日本人)が良くしてくれ、子供たちもRさんを大切にしてくれるのであるが、やはり何かが違う。ことばを含む日本的な音や、日本食の匂い等慣れ親しんだものが少ないのである。
ある日、家の中で躓いて転んだRさんは右足首を骨折してしまった。救急車で病院に運ばれ入院し、右脛骨下端骨折の治療は順調に推移したが、Rさんは、付き添いのT夫人が帰ってしまう夜が不安で仕方がなかった。言葉の通じない恐怖感から奇声をあげてしまったところ、精神的な異常と判断され鎮静剤を注射され、その結果寝ているのみとなった。T夫人は不審に思い、医師に疑問を訴えたが老人であり、あり得るといわれ取り合ってもらえない。そのうち失禁が発生し、おむつを当てられてしまったRさんは、恐怖感が一層増して食事も取れなくなってしまった。診断名は『アルツハイマー、昏睡』であった。相談を受けた保険会社では、日本人の女性医療スタッフ(パラメディック・薬剤師で提携アシスタンス会社JTMLS責任者エミ・坂巻氏)を派遣し、状況を確認させた。その報告によると「衰弱はしているが、意思表示は可能であり、日本食であれば食事も可能であり、また病室内での歩行も可能である。」とあった。
英語のわからない、生活習慣の違う患者さんを医師や看護師が理解できなかった結果、患者が追い詰められて精神に障害があると診断されてしまったケースである。本件は日本に戻すことが必要と判断して、Rさん並びにT氏夫妻と話し合った。その結果、帰国搬送への合意承諾を受け、保険会社の医療救援チームがRさんをT夫人とT氏長男同行の上日本までお連れした。Rさんは、病院を出発してから搬送中は落ち着かれ、飛行機の中ではおかゆなどをしっかり食べることができた。衰弱していたため車椅子や、トイレの介護は必要であったが、医薬品による治療は全く必要のないものであった。
本件は、現地医療機関と担当医の帰国搬送に対する同意取り付けに大変苦労したケースであるが、担当医は、アルツハイマーではないことと精神異常ではないことには最後まで納得しなかった。
異文化の中でストレスが溜まることは誰にもあることではあるが、老齢の方はより配慮をしてあげる必要があると強く感じたものである。お年寄りには、住み慣れたところと家族はどちらも重要であり大切なものと言えよう。 |