今、中高年の登山が脚光を浴びている半面、遭難事故が相次いでいる。アマチュアとしての活動の範囲であれば、保険会社もあまり厳しいことはいわないが、プロとなると割増保険料を求められることになる。かつて、世界的な探検家植村直己氏がマッキンレー登山中に命を落としたことがあった。一件華やかに見えるテレビ番組もその裏側を見ると、出演スタッフや制作を担当する下請けプロダクションの想像を絶する苦労と努力によって支えられている。

視聴率という物差しによって成否を冷酷に判定されるが故に、また、限られた日程や費用により場合によっては無理をしてしまうのであろうか。

大分以前のことになるが、ドキュメンタリータッチの番組として定評のあったBテレビ局の番組制作チームは、このときの企画のテーマを『南米の激流をカヌーで下る冒険旅行』と決め、その制作をO制作会社に依頼した。

O社では、カヌーの元全日本代表で世界選手権にも出場していた、その道の第一人者であるY氏に出演を依頼した。一流のカヌーイストとしてのY氏は この企画の危険度を推測して万一の場合も考え、撮影中の危険を担保する海外旅行保険加入を条件として応諾した。

翌月7日、一行はボリビアの首都ラパスに到着した。翌日よりチチカカ湖から流れ出る急流で訓練し、撮影とキャンプの準備を行った。10日後、ランドクルーザーに分乗した一行は、ペルーのオリヤンタイボに向かった。ここでカヌーによるウルバンバ川下りを撮影することが、主な目的であった。翌日撮影現場の下見に行ったY氏は、内心舌を巻いた。これほど長い距離にわたって急流が続き、多量の水泡により水が白く見える激流(ホワイトウォーター)の連続は初めてであった。これは相当な覚悟が要ると思うY氏であった。

万一に備えて川の途中二か所にロープを張り、試みに一度下ってみた。結果は無事であったが、想像以上に大変な流れであり Y氏は疲れきってしまった。しかし、「本番お願いできますか。」というチーフプロデューサーの表情を見ていると断わるわけにも行かず、二時間の休憩後に行うこととした。」天気予報と費用並びに日程を気にしている彼に、延期にしようとは言えなかったのである。

二時間後、カメラ七台を配置し、激流を必死で下るY氏の撮影が始まった。急峻な山間を流れるホワイトウォーターとの壮絶な闘いであった。果たして、第三カメラの前まで来たとき、カヌーが転覆し、投げ出されたY氏が浮き沈みしながら流されて行った。スタッフは懸命に救助ロープで止めようとし、二か所目でY氏がロープを掴んだかに見えたがすぐに引き離され見えなくなってしまった。一時間半後、五キロメートル下流で岩に挟まっていたY氏が発見され、近くの村の男たち六人がロープを使って引き揚げた。しかし、Y氏は既に絶命していた。
司法解剖の結果、死因は全身打撲、多発性骨折であった。

 

注:スポーツでも対価を得てプレーをすることはアマチュアの範疇を越えると見られます。このため、制作会社では、Y氏の保険契約時に保険代理店に危険度の高いカヌーイングであることを申告し、割増保険料を支払っていた。このため何ら問題なく死亡保険金と救援者費用保険金が支払われた。保険会社に正確に申告をすることは、あとがスムーズに進むポイントである。

以上


  

2010/1/25

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