海外旅行をするときに誰もが想定するリスクは、まず飛行機の安全性であろう。
過去に幾多の事故、あるいは奇跡的な生還があり、それらが専門家により研究され、安全性の向上に寄与して現在に至っているといえる。
航空機に興味のある人で、年配の方々にとっては有名な事例で、1937年12月、旧日本海軍の九六式戦闘機が日中戦線上空でカーチスフォーク機と接触し、左翼のかなりの部分を失いながら生還したことがある。
近くは、右主翼を完全に失ったF-15イーグル戦闘機が墜落せずに空母に帰還した事例がある。1984年のことである。片翼を失った場合、その翼の操縦に使われていた油圧系統は駄目になる。この機は残った別の油圧系統と大出力のエンジン、および失われた主翼の揚力をバックアップできるほど大きな水平尾翼の揚力を駆使して生還したという。
一般に戦闘機には、その性格と目的から ダメージを受けてもなお飛び続ける用意が色々となされている。一般の飛行機にもある程度用意されている。しかし、いざという時に生還できるのはそれらを駆使できるパイロットの力に負うところが大きい。
笑い話に「「エンジン交換を要します。」とアナウンスされた飛行機に、15分後に搭乗案内がなされた。気になった乗客が「こんなに早くエンジン交換ができるのか。」と聞いたところ「パイロットを代えました。」と説明されたというものがある。
そのパイロットにあこがれ、せめて自家用機の操縦免許だけでも取得したいという人々が増加している。東京出身のAさんは3カ月未満の観光ビザで渡米し、ロサンゼルス郊外にある小型機操縦訓練学校に入学した。その後、頑張ってライセンスを取得して、ようやく単独飛行ができるようになった。快晴のその日、AさんはB社製の小型機でサンタモニカ空港を飛び立った。景色を見る余裕もでき、60分間のフライトの中で学んだ色々なテクニックを試みようとして高度を取るべく上昇した。頭の中にはかつて見た映画『トップガン』のシーンが浮かび、トム・クルーズと自身がダブって浮かんでいた。次第にエンジンの出力を上げたが、気が逸ってそれ以上に機首を上げ過ぎていた。このため、空気の流れが主翼から剥離してしまい、失速した小型機は急降下した。降下したというより落下に近い状況であった。
職業パイロットであれば、非常時の訓練を相当摘んでいるので十分対応できることだが、Aさんは、頭の中がパニック状態となり、墜落の恐れからなおも機首を上げようとした。
正しくは、失速時においては逆に機首を下げ、降下速度を利用して速度を回復して揚力を獲得しなければならない。果たして小型機は墜落し、Aさんは救急車で病院に運ばれたが心肺停止状態で、懸命の救命活動にも拘わらず助からなかった。享年25歳であった。
以上
2009/11/5
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