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世界の医療文化比較 その4 
〜ロシア編〜


 世界の医療文化は、経済発展度によっても異なるが、政治思想によっても異なることはあまり知られていない。前回の『その3』では、「医学と、患者が実際に受ける医療とは、そのレベルと内容が必ずしも一致しない。現場で供給される医療は、医学に加え経済的背景、医師の数と患者数、施設器材、生活慣習からくる患者のニーズ゙、及び命に対する考え方等様々な要素によって影響される。」と述べた。それでは、資本主義と共産主義ではその提供される医療にどのような違いがあるのであろうか。

 商社勤務のTさんは、モスクワ営業所長であった。赴任が決まったときに一旦現地に単身で赴き、半年して夫人を呼び寄せたが住まいはホテルにしている。理由は治安上の問題であり、駐在員で、ホテルを住まいにしている人は多い。Tさんは、自身も商取引の交渉で各地を訪問するが、 ロシアは広大な国で出張と言えば外国出張と差を感じないほどである。そのときはサンクトペテルブルグで大きな商談であったので部下のYさんと二人で出張した。商談は思いのほか順調に進み、帰る予定を早めることにしたが、翌日曜日の便が予約できる最も早い便とのため、それを予約した。土曜日は午後の予定が無く、二人はエルミタージュ美術館を見学することにした。 日本の博物館で特別展を見たことがあったものの、皇帝エカテリーナの住まいであったとも聞く宮殿の規模と豪華さ並びに展示品の内容と量の多さに圧倒された。 とても半日で見れるものではないことを、衝撃を受けるほどに感じた。

 感動して美術館を後にしたが、絵画好きのTさんの心は日常に戻っていなかった。 タクシー乗り場に向かって歩いて道路を渡ろうとしたとき、Tさんは全身に大きな衝撃を感じ意識を失った。左から来た車にはねられたのである。 Yさんは急いで携帯電話で救急車を呼び、Tさんを病院に運んだ。警察が来て現場検証を行なったが、この国で賠償金を取ることの困難さは駐在員なら承知しているので、Tさんを助けることが第一であった。

  病院の救急病棟で診断の結果左大腿骨中央部の単純骨折であった。他に頭部打撲と顔面挫傷があったが、それ程心配はない程度のものであった。医師の説明では、「左大腿部を切開して『AOプレート』と呼ばれる金属プレートをボルト固定して整復する。約1年後固定した金属を除去する手術を行なう必要がある。」とのことであった。これを聞いたTさんは、日本のやり方と同じ、 と安心して手術を受けた。治療費はもちろんTさんの会社で加入している駐在員保険の会社から支払保証がなされて心配は無かった。ロシアにも一般の公立病院と私立の病院があり、私立の病院に入院したことは言うまでも無い。術後は順調に2週間が経過して安定したため、医師付き添いで夫人とともに帰国し、日本の病院で継続入院治療をすることにした。保険会社が医師と医療器材、帰国便等全て手配し無事都内のJ大学病院に入院した。

 後日、保険会社担当者は機能障害の後遺障害保険金の請求の際に添付された写真と後遺障害診断書からその手術痕の大きさに驚いたが、縫合も今の日本では行なわれていない手法であった。27cmのAOプレートを装着するためにほぼ同じ長さの切開が行なわれていたのである。また、縫合も縦の切開にたいして交差する縫合が大きな瘢痕として残っていた。同様のけがで金属プレート固定を行なっても日本であればこれ程の傷跡は残さないであろう。Tさんは男性だからまだしも、女性であれば大変である。ロシアの医師と日本の医師と、QOLといわれる治癒後の生活の質を高める意識の違いを感じたケースであった。因みに、チェルノブイリ原発の事故後、周辺の少女に甲状腺がんが多発した。 その除去手術は両耳の後ろから切開し、喉を真横に切開する、大きな手術痕を残すものであった。これを見た日本の医師が人道的に現地に自費で赴き、傷跡の小さい手術法を教えて、多くの少女を悲しみから救ったことが、NHKの『プロジェクトX』で放映された。共産圏の医療は、QOLよりも治すことに主眼が置かれている。

 後日、サンクトペテルブルグの病院長からTさんの治療費請求書が届いた。そこには、『代金は要らないから、添付のカタログの日本製内視鏡を送ってほしい。』と書いてあり、同封のオリンパス社のカタログの製品のひとつに赤丸印が付けてあった。共産圏の中は最も先進国であるロシアであってもこのような医療器材の入手は困難であることを知った。本件では、保険会社は保険金を支払うことが業務であり、物品を輸出することはできない旨説明をして、治療費を送金して終了した。

 このように様々な要素によって醸成されるのが医療文化である。  

2007/8/27

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まえ

つづく


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