日本の医療は国民皆保険制度とフリーアクセスを原則としている。つまり、国民の全てはなんらかの公的医療保険によりカバーされており、また患者が希望する医師(医療機関で)の診察を受けることが可能である。医師は診療費の支払い能力の有無にかかわらず治療を行う義務があり、同時に誰もが均一なレベルの医療を受けることができる。医療機関は患者に負担をかけないために体制を整え、その多くは患者がひとつの医療機関ですべてのサービスを受ける体制にして、診察料、検査費用、医薬品代、入院料等すべてを一括精算できるようにしている。しかし、これは日本の慣習であり、医療文化である。欧米の医療文化圏であるオーストラリアの医療機関ではこのようにはいかない。基本的に医療費は各医師により異なり、受診には予約が必要であり、医療費の支払能力(保険を含む)がないと診てもらえない。また、専門医の治療を受けたいと希望しても、初診を担当する医師(General Practitioner 通称GP)の診察と必要性の判断並びにGPの紹介がないと受診できない。 日本人は几帳面であり、意外なことが発生するとそれだけで不愉快になり、怒る。一方外国人の多くは自分に金銭的な損失や実害が発生しない限り「It happens.」と気にしない。その違いが関係者を思わぬトラブルに巻き込むことがある。10月下旬、A高校の一行は海外修学旅行を実施しオーストラリアのメルボルン空港に到着した。到着後3日間はホームステイを予定しており、生徒達は出迎えたホストファミリーと対面し、それぞれに引き取られて行った。Y君とT君は郊外で牧場を営むL氏宅にお世話になった。L氏一家は夫妻と両親、及び子供は中学生から幼稚園までの男女5人の世帯で大変楽しく賑やかであった。1日目は市内観光をして、翌日は広い牧場で羊を追いながら思い切り走り回り、バーベキューをして楽しい時間を過ごした。午後Y君は写真を撮ってもらおうとして、慣れた(と思っていた)羊に跨った。すると驚いた羊はいきなり走り出したのである。羊に振り落とされないように必死にしがみついていたが、ロデオのように動き回る羊にとうとう振り落とされた。このときY君の右腕にガクッと音がして激痛が走った。始めはこの光景を笑って見ていた皆が異常に気づき駆け寄ってきた。L氏は、Y君の腕を見て肘が外側に曲がっているため骨折かと思った。しかし確認して異常な動きが無いことがわかり、L家のジェネラル・プラクティショナー(GP。家庭医)のM先生に予約をとり、Y君を車で連れて行った。現地では、明らかに命に別状のないこの程度のものでは救急車を使わないのが普通である。理由は、救急車は台数も限られ重篤な人のためのものであると考えていることと、有料であることとがある。 診察をしたM先生は、近くのレントゲン検査の先生を紹介してX線写真を撮るよう指示した。その結果外傷性右肘関節脱臼と診断された。整形外科の専門医でもある先生は、麻酔科の専門医の先生の協力を得て、Y君の右肘の整復処置を行った。L氏が予めY君の海外旅行保険会社に連絡をしてくれたので、日本語の通訳も派遣され治療費もキャッシュレスで済むという。費用は全て保険会社からM先生に支払われると説明を受けた。Y君は痛かったけれども「すべてが一度に片付いてよかった。」と安心した。担任の先生や同行の副校長先生も大変心配をして日本の両親に詳細を報告して、処置の事後同意を求めた。これに対してご両親はY君が至って元気であり、その事故の様子を知って「うちの子のために皆様に大変ご迷惑をお掛けして申し訳ございません。」と恐縮しておられた。 その後の日程は順調に進み 楽しく有意義な海外修学旅行が終わった。ところが一ヶ月ほど経過して関係者の脳裏からこの事故の記憶が薄らぎつつあった頃にY君のお母さんから学校に電話があった。大変お怒りの様子である。「息子の治療費はすべて海外旅行保険でできました、と言ったのに請求書が何枚も届いている。どういうことですか!」とのことであった。担任の先生も驚いて、保険会社に確認をすることになった。 保険会社の担当者は、いとも簡単に「請求書をそのまま保険会社にご送付ください。こちらから直接送金します。」という。このことを報告するとご両親は学校を訪問、「治療費はすべて保険で済ませたと言ったではないですか。なぜ請求書が来るのですか。」とどこに責任があるのか、責任者から謝罪をしてもらいたいと強く主張したのである。学校では止むを得ず保険会社の担当から説明をしてもらうことにした。 別の方向に現れると長所になる筈の几帳面さも悪い方向に現れると学校を巻き込む苦情となる。学校にとっては文化の違いによる災難といえるかも知れない。
以上 2008/12/25 |
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