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春が来て夏になり、秋が来て冬になる。森羅万象に季節があるように 人の一生においても生まれて育ち、自立し、次世代を育て、そして交代することに変わりはない。しかし、この過去から続くいとなみが時として狂う場合がある。それも突然に来たら、どうしようもない大きな悲しみと苦しみがひとを襲う。
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T氏は、上海にある大手電器メーカーの現地法人の副総経理である。仕事のためにこの10年間単身赴任を続けざるを得ず、子育てを夫人に任せ放しであった。会社の立上げからさまざまな困難を乗り越えて、現在はようやく軌道に乗せることが出来た。家族の支えが無ければ今の成功は無いと感謝していたT氏であるが、一昨年一粒種の娘さんのYさんが大学を卒業して厳しい就職戦線を乗り越え、著名なIT企業に就職した。そこでYさんの所属するチームが挑戦した開発業務が大成功して社長表彰を受けた。副賞は、チーム全員に対する7日間のハワイ休暇であった。Yさんは会社の仲間とハワイ旅行を楽しみながら、両親にはE-mailで毎日の出来事やこれからの夢を伝えていた。
ハワイではこれまでの海外旅行と違い、ゆったりと滞在して時々気が向いたらシュノーケルをしながら泳ぐ程度であった。メールでは、『新たな発見は、のんびりと過ごすことがこれほど自分をリフレッシュさせる、このことを初めて知り欧米人の休暇の過ごし方が理解できたこと』と述べていた。
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5日目の夕方日差しが若干弱くなった頃、会社の同僚4人と一緒に浜辺に出かけた。一行がシュノーケルで泳いでいたがかなり引潮が強く感じ、海岸に引き返そうとしたときYさんの姿が見えない。同僚は慌ててライフセーバーに助けを求めた。しかし、Yさんが沖合いでうつ伏せで波間に発見されたのは30分後であった。Yさんはすぐに救助されて人工呼吸の上病院に運ばれ救命治療を受けたが、翌日午後ICUにて心肺停止となった。
病院のソーシャルワーカーから連絡を受けた保険会社のホノルルデスクではYさんの保険契約がすぐに確認され、東京のT夫人に連絡をした。夫人は報せに驚愕し、すぐに上海のT氏に状況を伝えた。保険会社では、T氏の救援に駆けつける予定を確認して翌日の上海発の便を手配し、成田空港トランジットで夫人と合流してホノルルへ向かう便を手配した。残念ながらT氏ご夫妻はYさんの旅立ちに間に合わなかった。
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病院でYさんの変わり果てた姿に驚かれたT氏は、それがYさんとは思えなかった。(溺死の場合、かなり生前とは容貌が変わる場合が多い。)このためT氏の了解を得て、保険会社の東京本社よりYさんのかかりつけ歯科医の先生に依頼し、歯のレントゲン写真をe-mail
添付でホノルルの病院に送ってもらった。 Yさんの現地病院で撮影したレントゲン写真と照合して本人確認をした医師より「同一です。」と告げられたときT氏ご夫妻の、Yさんとは別人であってほしいとする一縷の希望はかなえられないことになった。
常に前を向いて仕事一途に頑張ってきたT氏は、こんなことであればこの10年間Yさんの傍に居てやれば良かったと悔やまれてならず、重いPTSDに陥ってしまった。
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保険会社担当は、治療費と救援者費用約250万円に加え、死亡保険金1,000万円をお支払いしたが、保険契約を履行するだけでそれ以上のことが出来ないことに無力感を感じる。如何に注意していても避けられない出来事はある。しかし、娘さんを失ったT氏ご夫妻の悲しみは消えない。 |
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