|
2005年12月下旬の中国国営通信新華社系の週刊誌『瞭望東方週刊』は、2004年1年間に起きた身代金目的の誘拐事件が3,863件に達し、「世界有数の誘拐多発地帯だったコロンビアの年間最高記録約3,000件(2001年)を突破した」と報じた。誘拐のほとんどは事業に成功した企業家などの富豪を対象にしているという。これがいつ外資系の企業経営者・役員とその家族に牙を剥くか分からず、警戒を怠らない駐在員も多くいる。
|
|
上海にあるA社副総経理のD氏は、自身の行動予定を限られた社員だけに伝え、運転手に毎日走るルートを変えさせていた。それというのも、個人生活で誰かに監視されているような気がして、不審なことがあると携帯カメラで撮り記録していたら、3台の車がそれぞれ複数回出てきたのであった。公安に相談して注意をしながらも日常の活動を精力的に行っていたD氏であった。 |
|
3月16日夜、D氏は上海から200km余りの江蘇省にある工場の視察を終え、ドライバー氏に帰路を急がせていた。そのとき、バックミラーに急激に近づいて来る車が映った。不安を感じたD氏はスピードを上げさせ振り切るように指示をした。その結果不審車は次第に遠ざかり見えなくなった。不審車ではなかったのかもしれない。ほっと一息してシートベルトを外して上着を脱ごうとしたその時、ガーン!という音とともにD氏は ダッシュボードにしたたかに膝を打ちつけた。何が起きたか分らなかったが、暫くして右から飛び出してきたトラックと衝突したことがわかった。
右足が痛む。動けない。車は走行不能となったが幸いドライバー氏はケガがなく、その後はドライバー氏の働きにより車を雇って、D氏は最寄の病院に運ばれた。
|
|
診察の結果、右膝蓋骨粉砕骨折、前十字靭帯損傷、右頚骨踝部複雑骨折、左側副靭帯断裂の重傷であった。右膝蓋骨と頚骨の観血整復術と、左側副靭帯縫合術を受けて2週間後上海の病院に移った。その後2ヶ月の入院治療を受けた後通院し、半年後、日本の医師に後遺障害の診断を受けた。その結果左右ともに膝関節の機能に障害を残すものに認定された。
なお、D氏は、あのときの不審車がどうだったのか判らないが、事故はたまたまであり、自らの危機管理は正しく、今後も続ける予定であるという。
|
|
後遺障害の診断をした医師は、日本で同様の手術をした場合と比較して切開痕が大きいことに驚いていた。資本主義と共産主義の政治思想の違いを医療面で見ると、一方は費用が高く同時に高度先進医療を受けることができ 治癒後の手術痕を目立たなくしたり機能障害を少なくしたりすることを重要視し、他方は費用が安く受傷部分を治すことに徹してQOL(Quality
of Life 回復後の生活の質の向上)までは余り考えられていないことが感じられる。冷戦による高度先進医療機器の輸出制限が続いた影響があったのかもしれないが、保険請求を頂く多くのお客様のケガの回復後の状態から見ると、この思想の違いが医療の面でもあると思わざるを得ない。近年の中国の医療体制・施設・レベルの発展は著しいものがあるが、基本的な思想の発展にはまだ時間がかかるのかもしれない。 |
|
|
|
|
|
|