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趣味で家庭菜園をしたり料理をしたり、また日曜大工をしたりする方々は大勢いる。それらの作業の中で危険な作業や工具を使用するときには誰しも注意をするが、危険性の少ない作業のときにはそれほど注意は払わない。そうかといって危険がないわけではない。 |
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バンコクに駐在するT氏55才は、3年間の生活経験を踏まえて定年後はタイに永住したいと考えた。温かさと、控えめで我慢強く親切な人柄、食べ物も美味い、そして経済的にも生活し易い。そこで1千万円余りで市内に豪邸を購入した。土地も広いので門から玄関までを和風庭園にしたが M氏の趣味で、日本に注文して届いた石灯篭の設置は自分で行うと決めていた。配地を決め、土台の石を置き、その上に固定する。日曜大工センターで買ってきたセメントを練ろうと、袋の説明書きの通りに砂とセメントと水とを混ぜた。ところがどうも硬い感じがした。このためT氏が水を足して小型スコップで混ぜていたその時、ピシャッと跳ねたセメントの混じった水が左眼に入った。T氏は目にゴミが入ったときと同じように目を瞑り下を向いて涙で流した。この判断の誤りが後に大変なことになった。 |
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刺すような痛みであったが我慢すれば良くなると思っていた。その後、左眼の見え方に違和感があったT氏は、水道水で目を洗い日本製の目薬を点したところ、これが異様にしみた。このため急遽市内のB病院に行った。日本語受付センターでは親切に対応してくれ、診察を受けたがその結果は『アルカリによる角膜火傷』であった。 |
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角膜は約0.5mmの透明な膜であるが、その構造は大きく5層に分けられており、表面から角膜上皮、ボーマン膜、角膜実質、デスメ膜、角膜内皮とあり、それぞれに役割がある。例えば角膜内皮は眼球から染み出した水分を吸い上げ角膜に押し戻すポンプの役割をする。これらの層にアルカリによる火傷を負わせてしまい、入院して治療を受けたが投薬・点眼薬では治せない後遺傷害が発生し 光の明暗しか認識できない状態となった。この結果、残る治療方法としては角膜移植しかないとの結論に至った。この手術は米国では1995年の統計で約4万3千件、日本では1499件行われているが、タイでの症例はそれほど多くないとのため、先ず日本に帰国してA大学病院に受診入院した。しかしながらA大学病院でも角膜移植手術は行っておらず、専門のI病院に移り、手術を受ける予定となった。 |
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角膜とは、眼球の最も前にある透明な膜であるが厚さは中央部分で0.5mm、周辺部で0.7mm程度である。一般には、目に入った光の焦点を合わせるための屈折は水晶体が行っていると思われがちであるが、屈折のおおくはこの角膜の部分で行われるのだそうである。このため僅かな変形や混濁が視力に大きな影響を与えるのだという。本件は、作業中の僅かな水の跳ねが片目の失明の恐れまで発生させたものである。その直後に流水で洗って眼科医を訪れたらもう少しは軽くて済んだかもしれない。一般的にこのような場合、目にゴミが入ることと同じに考えてしまうことはありがちであり、セメントのアルカリ成分が無ければ問題は小さかったと思われる。しかし、リスクマネージメントでいう損害の拡大防止の概念を心して、事が起きたら常に最悪の場合を想定し、充分且つ早めの対処をお奨めしたい。
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