文化の違いは海外旅行の楽しみでもあるが、緊急時にはそうも言っていられない。自らの予測通りに動かず、驚かれた旅行者の話をよく聞く。日本と多くの外国の医療面での大きな違いは、前者は『医は仁術』といわれる社会であり、後者は完全な営利産業であることが挙げられる。風邪や下痢程度であれば面白い経験で済む話でも、額が大きくなると大変である。本編では、クレジットカード付帯保険だけで海外旅行に行かれて思いもよらない負担を強いられた事例を紹介し、海外渡航時のご自身のリスクマネージメントをご検討いただきたい。
A子さん(53才)は趣味の仲間と二人で英国へパッケージツアーで出かけた。二人共海外旅行のベテランで、保険も「カード付帯でよい。」とテレビでファイナンシャル・プランナーの女性が言っていたことを信頼して今回も出かけた。先月中旬、北回りの便でロンドンへ向けて出発した二人は、機内サービスをそれなりに楽しんでいたが、途中でA子さんはトイレに行くと言って席を立った。暫くして、機内は空いていたにも関わらず帰りが遅いことが気になり見に行ったE子さんは、トイレ前の通路にうつ伏せに倒れているA子さんを発見した。直ぐにキャビンアテンダントを呼んだところ、首の骨が折れている可能性があると言われた。全身を固定する応急処置は客室乗務員が行ったが、機長の判断で途中のストックホルムのアーランダ空港に緊急着陸した。 A子さんは救急車で近くの大学病院に運ばれた。診察と検査の結果、第3第4頚椎の脱臼骨折と診断されて 後日その手術が行われることになった。骨盤の骨を切って頚椎の両横に添えて椎体の関節を固定し、動かなくする『頚椎前方固定術』と呼ばれる大手術である。治療費用は、高額が予想されA子さんのカード付帯の治療費用保険金額では賄いきれず、救援者費用保険金額も小額で同じく足りない。その上手術は成功したがA子さんの状態は重度の頚髄損傷で四肢麻痺の後遺障害が残ると予測された。
本件の原因は、倒れて頚椎を骨折した事実が明白であるも、なぜ倒れたかが問題となっている。順調に航行中の飛行機の中であり航空会社の責任は考えにくく、また、躓づいた等で発生したのか(傷害)、意識を失ったことが原因で倒れたのか(疾病)が問題となっている。傷害であれば、ツアー会社から後遺障害に対する旅行約款上決められた補償があるからである。(但、治療費は出ない。)
その後日本に帰国して入院されているが、慣れないご親族の人達がこのような緊急対応をされたことの困難さを思うとお気の毒でならない。どうしてよいか分からない中で多くの人の手助けを得ながら、A子さんのご家族の費用負担で治療費支払いと現地救援活動を行ったご苦労は察するに余りある。
時々私達のところへ「費用をお支払いするので助けてほしい。」と海外旅行保険に加入せずに事故に遭った方からお電話を頂くことがあるが、保険契約のない人への救援サービスはお引受出来ない。
軽症の場合で、お金の面だけを考えると本人が費用を立て替えて、書類を整えて保険会社に請求し、後日支出金が補填されることで済むのであれば、クレジットカード付帯保険で充分といえる。しかし、海外旅行保険の役割は、保険金を払うこともあるが、最も大きなことは現地で困ったときの実際の救援活動を行うことであろう。ファイナンシャル・プランナーの視点は金銭の出納だけであり、そのとき現場で何が起こるかをご存知の方は極めて少ない。海外では、自分の命は自分で守る意識が必要である。つまり自らが動けなくなったらどうするかを予め考え、準備することである。米国の例では、自分が意識不明になったときにはどのような医療処置をしてほしいかを事前に記載したAdvance Directiveや Living Willを持つことが広まっている。日本で病院に搬送されれば、何も言わなくても心臓が止まるまで主治医の先生により救命治療に最善を尽くしてもらえる。しかし多くの先進国では、説明を受けて医療処置を自分で選択するのが常である。日本国内の感覚のまま、臓器移植を認めている国で『先生(医師)にお任せします。』と言ったら脳死判定されて、ソーシャルワーカーに移植の手配を進められかねない。
保険会社は、通常被保険者が本件のような状態になったとき、航空機で運べる状態になるまでは現地で救命救急処置をおこない、状態が安定したら被保険者の要請に基づき日本に医師付き添いで搬送して入院していただくことを行っている。
自分で意志表示出来ないときに誰にどのようにしてもらうかを、費用の負担方法も含めて予め決めておくことが、これから海外渡航をする人にとって必要な時代になってきたのではないだろうか。
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