| 市民マラソンのランナーで健康には絶対の自信を持っていたY氏(54才)は、久しぶりに仕事を離れてラスベガスの休暇を楽しむ予定であった。大好きなギャンブルができると自然に顔がほころぶも、出国のチェックインを済ませた瞬間、視野が『手振れで撮影したビデオ映像』のように揺れた。そのままじっとしていたところ暫くして治り、単なる疲れと思い出国ゲートを出て搭乗をした。
離陸後、機内食を食べたが、どうもいつものように美味しく感じられない。その内、背中に違和感を覚えたが、寝たら治ると思いしばらく休んだ。暫くして吐き気を催し目がさめた。出発して6時間ほど経過後は、いよいよ気分が悪くなり、機内アテンダントに酔止めの薬をもらって様子を見たものの一向に回復せず、返って症状が重くなった。
出発から約12時間後にラスベガス空港に着陸、航空会社の手配で救急車が呼ばれ、そのまま、フラミンゴ通り西のデザートスプリングス病院に運ばれた。容態は重く、ICUで一晩を過ごし、医師団の懸命の救命処置にも関わらず翌日午後、Y氏は身罷られた。原因は、多発性脳内出血であった。
| | 航空会社より連絡を受けたJiデスク・ラスベガス責任者ジツマサ実政は、治療費用支払保証等入院後の対応を行いJI本社に報告。同本社では医療情報を正確に分析して、入院7日以上を要すと判断し、Y氏のご家族に救援渡航のお勧めのための連絡をした。
ご家族は、直ぐに現地へ行きたいとのY夫人とご子息2名の意向に従い、J旅行社に航空券とホテル予約を依頼、費用料金をJIの海外旅行保険に直接請求することでお客様のお立替を頂かないよう手配をした。もちろん現地の医療費はキャッシュレスにしたことはいうまでもない。
翌日の訃報に接し、JIではご遺体を日本に運ぶ手配に切り替え、バンフのJiアシスタンスサービスJTMLS社より日本人担当者エミ・坂巻を派遣した。ご遺族の到着を待って対応をご説明し、3名に代わって保険会社側担当者が手続きを進めていった。ご遺体の搬送には、診断書、死亡証明書、(ご遺体の)防腐証明書、ネバダ州遺体移送証明書等を申請手配し、棺の梱包を行い、
梱包証明書を提出し、日本まで運んだ。 成田到着後は、通関後専門業者により、これを開梱し、高度1万mの、-50℃の中を飛んできた冷凍状態から日本式の状態に改めてお収めしてご自宅までお届けして、本件の緊急救援活動を終了した。
担当のエミ・坂巻は、翌朝のNW2便で次の任務に向けて飛び立った。このように緊急救援ケースは、当社だけで月に7〜8件発生している。 |
| 本件の治療費用保険金は\932,000.-、救援者費用保険金は、遺体処理費用・現地\415,067.-、同帰国後\404,859.-、国際電話料\189,182.-(レート$/@135.4)、遺体航空運賃\115,396.-救援者航空券(ノーマル)とホテル代は\1,021,513.-で小計¥2,146,017.-
これに死亡保険金\5,000,000.-(既往症特認あり)の合計\8,078,017.- をお支払いした。 |
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