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海外で病気やケガをして医師の治療を受けることは現代人にとってそれほど珍しいことではないが、患者にとって日本の医療と海外の医療の大きな違いを感ずる最大の点は、日本の医療と諸外国の医療産業との経営上の違いではなかろうか。日本では『医は仁術』的な思想が基本にあり、他方諸外国の多くでは営利ビジネスとして営まれ、病院がM&Aの対象にまでなっている。外国の多くの私立の医療機関では、予約の際にどのような保険に入っているかを先に言うことによって、待たされる時間や受付時の対応が大きく変わる。特に『治療費用の100%を支払う海外旅行傷害保険』を持っていることを告げると、それだけで電話の応答が変わる。
現地の公的健康保険や私的健康保険は、医療機関の選定と治療内容、使用機材・薬品等に詳細な制限のあるものが多く、医療機関側の利幅は薄いからである。しかし、違いはそれだけではない。
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A氏(55才)は、大手スーパーの食品輸入を担当するバイヤーであった。業務は多岐にわたり、店頭のオレンジジュースのパックを、どこで生産させ輸入するのが効率的であるかの戦略まで担当していた。昨年は、バレンシアオレンジを南米で栽培させ現地で製品化して輸入することに成功し、利幅のパーセンテージで上げた。会社にとってはその取扱量が大きいので年間利益においては大変な功績であった。A氏も片道30時間近い出張を繰り返した甲斐があったというものである。 |
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8月3日、南米出張の途中、以前から取引のあったバンクーバーのワイン農場主B氏と会うため、バンクーバー経由で1泊することにした。ホテルにチェックインの後、B氏の農場を訪れた。ホテルまで迎えに出たB氏の運転で、夏の日差しを浴びながら広大な農場をピックアップトラックで横切って元気にB氏邸に到着した。家族からビールとワイン、そしておいしい料理の大歓迎を受けた。乾ききった喉に冷たいビールは最高であったが、B氏はこれが今生の名残になりそうになるとは思わなかった。 |
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突然、視野が激しく揺れてゆがみ、異常な恐怖感を覚え「これはいかん!」と意識の中で叫んだが声にはならなかった。A氏は失禁し倒れた。すぐに救急車で市内の総合病院に運ばれ、救命治療が施された。症状から脳出血が疑われたが、検査の結果は脳梗塞であった。ICUに移り意識のないまま生命維持のための諸手当がなされていたが1週間後、種々の検査が行われ、主治医と他の医師が協議して出した結論は『脳死』であった。この判定が下されると病院側はそれ以降積極的な治療をしない。 |
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この間に日本から駆けつけたA夫人とご子息は、心臓が動いているにもかかわらず脳死を宣告されたことに納得ができず、保険会社が派遣した日本人医療コーディネーターに相談した。経験からアメリカ・カナダの場合、日本の『脳死』判定より基準が厳格でないような印象があるが、この点は専門家の研究に任せるとして、A氏を植物状態と考えているご家族の日本に運びたいとする希望は、保険会社として理解できるものであった。保険会社の提携している医療アシスタンス会社の医師による容態の確認によると「脳の神経細胞が壊れ、脳の機能が停止して不可逆的であるが、このまま生命は維持する。」との説明であった。慎重に検査と検討を重ねた結果、日本まで医療搬送しても途中で生命維持が難しくなる可能性は極めて少ないとの結論になった。 |
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これに基づき、3日後、保険会社の手配でパラメディック2名と薬剤師の搬送チームによりA氏を救急車でバンクーバー国際空港まで運び、そのまま代理通関でストレッチャーのままチャーター機に搭乗させた。途中アンカレッジ、ハバロフスクで給油して大阪(伊丹)空港まで搬送した。そこからは寝台車でご自宅近くの病院まで運び A氏を入院させた。なお、ご家族はチャーター機には余裕がなく乗れないため別便にて帰国された。 |
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日本の主治医の先生は、「現段階で脳死とはいえないと考えるが、意識は戻らないかもしれません。取り敢えず2週間が山ですね。」といわれた。 |
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ところが、約2ヶ月後、医師や看護師による懸命の治療と家族の昼夜の看護が功を奏したのか、A氏の意識は戻った。そして半年後、重い障害は残ったものの退院し、自宅に戻り車椅子を使用しながらではあるが現在も静養されている。 |
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『それにしても、日本に運んでよかった。』とご家族関係者に喜ばれた件であった。なお、バンクーバーの病院のICU担当医師に意識が戻ったことを伝えたところかなり驚いていた。A氏は、海外旅行傷害保険の特約のうち、治療費でも救援者費用でもどちらでも、総額で保険金額内である限り、それぞれの限度額は設けない『治療・救援費用特約』保険金額3,000万円で契約していた。このため、治療費とチャーター機を含む救援者費用合計2,250万円が全額保険で支払われた。
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