【Fami Mail】 特別寄稿連載  
 
『噛めば噛むほどYale − 胸の高さで見た景色』
〜目次〜 イェール大学留学記
*題名について
Yale University(イェール大学) 林学及び環境学スクール
環境科学修士&開発経済学修士
大司 雄介
<第4回>いざマダガスカルへ

 人類は航空機の発明とともに、音速の時代へと突入し、世界中のほとんどの場所へ、驚くべきほど短い時間で行くことができるようになりました。石炭を船に積むのを待っている間に、一青年が、ドイツでの思い出を全て語れてしまうような森鴎外の時代と比べ、地球の大きさは確実に小さくなったと言えるでしょう。

と僕は思っていたのですが、世界はやはり広い。マダガスカルの首都アンタナナリボのイヴァト国際空港に降り立った僕は、正直くたくたになっていました。
東京を出てマレーシア、パリと経由すること、約50時間、シャワーはおろか、ろくに寝てさえいなかったからです。

 21世紀を迎えた今でさえ、地球上にはこれだけの労力を費やさなければたどり着けない場所だってまだ残されているのだと妙な感慨に浸ってしまいました。

 着陸態勢に入った飛行機の窓から眼下に見えるのは、スカイスクレーパーでもなく、車の渋滞でもなく、赤茶けた大地でした。ときおり数軒の家と家畜が集まる集落のようなものが見えます。小高い丘が波打って、まるで牛の臓物のように見えました。そして数分のうちに、飛行機は無事着陸。

 とうとう僕は着いたのです。この半年間、準備に準備を重ねた研究の地、マダガスカルへ着いたのです。僕の目の前には、今後3ヶ月間の未知の世界が待っているはずです。

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行きの飛行機から
見下ろした

マダガスカルの大地

丘の上に立つ
アンタナナリボの風景



アンタナナリボ中心街
こうやってみると結構綺麗な街です

首都のマーケット

これも首都の街

生態系の宝庫マダガスカル

  これから僕が3ヶ月暮らすことになるマダガスカルは一体どんなところなのでしょうか。おそらくほとんどの人は、名前くらいしか聞いたことがないのではないでしょうか。

 実際僕だって、数ヶ月前までは自分がそんな国で研究をするとは思ってもいませんでしたし、当然、マダガスカルについての知識はほとんど持ち合わせていませんでした。しかし、この国は、調べれば調べるほど、魅力に溢れた国だと気付いたのです。

 マダガスカルはアフリカ大陸の東南沖、インド洋に浮かぶ島国で、国土は日本の約1.6倍。地球上で4番目に大きな島です。
この国を世界に知らしめているのは、その生態系の豊かさと特異性です。

 動植物の8割がマダガスカル固有種で、両生類に至っては99.8パーセントが、世界のほかのどの地域にも存在しません。その特異性は多くの生物学者、動物学者や旅行者を惹きつけてやみません。ガラパゴス諸島とともに、ダーウィンが訪れた地としても知られています。

 なぜ、マダガスカルの動植物は特異なのでしょうか。これは未だに謎な部分も多いのですが、現時点での説明は、地球がまだ一つの大陸であった1億年前までさかのぼります。マダガスカルは早い時期にアフリカ大陸と分離し、1億年かけて独自の進化を遂げたのです。そのため、現在のアフリカ大陸は目と鼻の先にもかかわらず、動植物の共通点はほとんどありません。例えば、キリンやライオンといった、アフリカ特有の動物は一切存在しないのです。

 マダガスカルの特異性の代表格ともいえるのが、レムール(レミュー)と呼ばれる霊長類です。分類学上、チンパンジーやゴリラとともに人類に最も近い種です。あの童謡の「アイアイ」もレムールの一種で、歌では「おさーるさーんだよー♪」と歌われていますが、実際は「お猿さん」ではなく、レムール科に属するのです。

 しかし、動植物の楽園ともいえるこの島も、現在では重大な危機に面しています。深刻な森林伐採により、従来の森林の8割が既に消失しているためです。既に17種のレムールが絶滅し、現在は32種を残すのみです。

 また、残念なことに、その豊富な環境資源にもかかわらず、マダガスカルという国は世界最貧国の一つです。一人当たりの国民総生産は$250を超える程度で、日本の100分の1程度です。マラリアやコレラが慢性的に蔓延し、年によってはペストが流行することもあります。

 僕は大学時代に、バックパックを背負い、いわゆる発展途上国と呼ばれる地域を旅行してきましたが、マダガスカルはこれまでに僕が訪れたどの国と比べても格段に貧しく、ましてや3ヶ月の長期に渡って暮らすことなどは初めてです。正直不安だらけでした。Yale大学で受けた5種類の予防接種も気休めに過ぎません。

 とにかく僕がこれから3ヶ月暮らす国は、そんな国なのです。

 

マダガスカル情報 (外務省HPより)

エコツーリズム

  マダガスカルのような国にとって、観光業は大きな外貨収入手段です。実際、政府も観光業を推進し、マダガスカルへの旅行者は、世界平均を大きく上回る割合で増加しています。

 マダガスカルを訪れる旅行者の多くは、「エコツーリズム」と呼ばれる環境保護型の観光を目的としています。国立公園を訪れ、レムールを始めとする動植物を観察するのです。そのようにして環境に対する意識を高めつつ、同時に、ヒルトンやハイアットのような豪華ホテルではなく、地元の人々の経営するホテルやレストランを利用することで、現地経済を活性化させるのがエコツーリズム目的なのです。

 先月号でも述べましたが、僕の研究は、このエコツーリズムを行う国立公園の経済価値を評価することです。旅行者はエコツーリズムに参加することからどれほどの利益を享受できるのか、また観光業による雇用や所得創出によって現地の人々はどれだけ利益を受けているのか、その額が算出できれば、国立公園の経済価値の一側面を知ることができるのです。

 

人種構成

 非常に独特な動植物を持つこの国は、人種構成もまた不思議です。
この国に最初に住み着いた人々は、インドネシアやポリネシアから渡ってきたと考えられています。あの勇敢な海の民は、はるばるインド洋を渡り、この地へ住み着いたのです。その後、アラブの商人やアフリカから奴隷として連れてこられた人々の血が混ざり合い、現在のマダガスカル人が形成されたのです。

 街を歩いていても、アフリカの血が濃い人もいれば、アジアの血が濃い人もいます。ときに日本人と外見上はそれほど変わらないような人も見かけるのです。五木ひろしを3倍くたびれさせたようなおっさんや、デビュー当時の宇多田ヒカルそっくりの女の子を見かけるとついつい笑ってしまいます。もちろんみな一様に、肌の色は褐色なのですが、五木ひろしだって肝臓を患えばあんなものであろう(と僕は勝手に思ったりして楽しんでいました)。

 

アンタナナリボ、三頭の馬ビール

 マダガスカルの首都、アンタナナリボ(現地の人は『タナ』と呼ぶ)は一国の首都としては非常に小ぢんまりとしています。そしてタナはマダガスカルの中でも中央高地と呼ばれる、非常に標高の高いところに位置しています。ローマ帝国は防衛上の理由から、7つの丘の上に街を建てました。しかしここマダガスカルでは、旧宗主国のフランスがタナに街を建てたのは、別な理由からでした。海岸沿いの低地に比べ、標高1200メートルに位置するタナはマラリアの可能性が少ないのです。

 その標高の高いタナの街の中にも、さらに数々の丘が存在します。現在ではタナの低地に住む人は低所得者層で、丘の上に住む人々が高所得者層という具合に別れているそうです。それは、低地は、雨季の間は川が増水し、蒸し暑く、不衛生になるからだそうです。

 小高い、いくつもの丘の存在が、タナの街に様々な表情をもたらしているように思えます。サンフランシスコにしても、尾道にしても、そしてここタナにしても、坂のある街は表情が豊かです。坂を登ると、全く違う視界が開けていることもあれば、同じ場所でも朝と夕の陽の当たり方によって印象が大きく変わることもあります。

 しかし、標高が高いのは危険でもあるのです。僕が滞在していたホテルは、タナの街でももっとも高い丘の上に位置していました。多分標高は1500メートル近くあるのだと思います。

 僕はマダガスカルに到着した夜、無事に到着したことと、今後の研究の成功を願って、一人ささやかにビールを飲みました。マダガスカル産のThree Horses Beerと呼ばれるビール大瓶を1本飲んだのですが、食事を終え、席を立った途端、これまでに感じたことのない感覚に襲われました。頭がボーっとしてきて、目の焦点がまったく合いません。手に持っていた財布を何度となく床に落としました。何かにつかまっていないとひっくり返りそうになるのです。ビール1本で酔っ払うなんて、情けねえな、おい、と思いながらそそくさと会計を済ませ、部屋に戻るなりベッドに倒れ込みました。

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3頭の馬ビール
この1本にやられました。

 もちろん長旅の疲れもあったのでしょうが、これは明らかに、この標高が作用しているとしか思えません。
だっていままで、どれだけお酒を飲んでも、こんな感覚に襲われたことはないからです。ましてやビール1本で。

それ以来、このできごとがトラウマとなり、1週間ほどお酒を控えました。次に同量のビール飲んだときも、前回ほどひどくはないものの、軽く酔っ払い 、翌朝、生まれて初めて「二日酔い」らしきものを経験しました。

 

どうやら、この国は、やっぱりすごいところのようです。

 

2004年1月15日

つづく

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