【Fami Mail】 特別寄稿連載  
 

特別寄稿

「まちゃむまちゃむmacam macam・マレーシア」
〜マレーシア留学記〜

東京学芸大学大学院教育学研究科 久志本 裕子

<はじめに>
まちゃむまちゃむ(1)  カンポンと油やしとツインタワー
まちゃむまちゃむ(2)  ハッピー・ラマダーン(断食月)の憂鬱
まちゃむまちゃむ(3)  ことば、ことば、ことば―英語コンプレックス克服法?―
まちゃむまちゃむ(4) ロティ・チャナイの含む絶妙な「空気」
まちゃむまちゃむ(5) 「上を向いて歩こう」の威力
まちゃむまちゃむマレーシア 最終回
「まちゃむまちゃむのくれたもの−グローバリゼーションは月餅の中に−」


まちゃむまちゃむ(4)  ロティ・チャナイの含む絶妙な「空気」
      

 これだけ「情報化」が良くも悪くも叫ばれる昨今でも、「日本人は毎日寿司を食べている」と思っている人が海外にはうんざりするほど存在する。「寿司は高級品だし、板前じゃないと握れない」と言う答が自動的に流れる装置を内蔵したいと思うくらい苛立つこともあるが、ふと考えてみると「アメリカといえばハンバーガー」「ドイツといえばソーセージ」など、他の国で「代表的」といわれる料理は生活に深くしみついた料理が多かったりする。そう考えると誤解されるのも仕方ないとも思うが、毎回毎回だと苛立ちを抑えられない自分はやはり器が小さいのだろうか。
 
 マレーシアの代表的な料理といえば、疑いもなく「ロティチャナイ」である。「ロティチャナイ」は、もともとは南インドから来た薄いパンでカレーの小皿と共に供され、「テタレ」といっしょに味わう。「テタレ」はインド料理のチャイのような、濃く出した紅茶煮コンデンスミルクをいれたあまーい紅茶で、カレーとは相思相愛の関係にある。この二つは、まちゃむまちゃむなマレーシアといえどもみんなに愛され、朝食、夜食になくてはならない「国民的」代表料理なのだ。これは観光の宣伝やおみやげのモチーフに多用されることからも窺える。我が家の冷蔵庫にもこれらを型どり「Malaysia」と書かれたマグネットが輝いているが、このことは結構奥が深い、と個人的には考えている。

 

 多民族国家マレーシアでは当然のことながらマレー、中華、インド系の料理があり、それぞれの屋台やレストランが林立している。加えて、マクドナルドやピザハット、「すし金(Sushi-King)」に代表される回転寿司だってある。そのなかでなぜ、圧倒的にマレーシアの代表となりうるのが「ロティ・チャナイ」なのか。まず第一の理由として「おいしい」という紛れもない事実を挙げねばなるまい。他にどのような理由を考えるにしても、まずこの絶対的なおいしさを指摘しなければ、「ロティ・チャナイ」に大変失礼である。恐れ入りました、というおいしさなのだ。
 
 おいしさをつくるものは、味だけではない。「ロティ・チャナイ」の超越性はそのパフォーマンスにある。「ロティ・チャナイ」を作るには、丸くこねた生地をうす−くのばさなくてはならない。ピザりのような要領で、はじめは生地を銀色の調理台にたたきつけるようにして広げる。だんだんと生地がのびてくると、職人芸の見せどころである。職人は生地をまわしながら台にたたきつけつづけ、やがて透けるほどに薄く伸びた生地は空中で空気を含んで優雅に舞う。瞬間、職人は生地でその空気を捕まえるようにしてぱたぱたとお皿にのるほどの大きさに折り、仕上げに閉じ込めた空気が窒息しないよう横からやさしくぽん、っと生地をたたく。これをバターをひいた鉄板でじゅうじゅうと焼くと、パリパリとこおばしい「ロティ・チャナイ」の完成である。ロティを作る台はたいてい店の一番外側にある。その技で客を呼び、味わわせるのである。そして、その値段たるや1リンギット、約35円といわれればもう、「おそれいりました」とコウベをたれる以外はないだろう。
 
 

 さて、このように味、技、値段と申し分のない「ロティ・チャナイ」が「国民的食べ物」とされるのは当然のことなのだが、ロティ・チャナイの背負う社会的背景についてもう少しヘリクツをこねてみたい。ロティ・チャナイはマレー系などの店でも供されるが、そもそもは「ママッ」と呼ばれるインド系ムスリムの料理なのである。多民族のマレーシアにインド系の占める割合は約10%、しかもその中の多数派はヒンドゥー教徒であり、人口でみればインド系ムスリムは超少数派なのである。にもかかわらず、彼らの料理が「国民的」食べ物になることはマレーシアという社会を物語っているように思う。
 
 食べ物には宗教の問題がつきものである。「雑食」といわれる日本人にとってなかなか実感の沸かない問題であるが、「まちゃむまちゃむ」である社会の複雑さを物語る一面である。あくまで原則で状況により例外は多々あるが、基本的にマレー系は中華の店には行かないし、中華系はマレー系の店には行かない。イスラームでは豚肉や酒だけでなく、非ムスリムの裁いたあらゆる肉、豚肉を調理したなべで調理した料理など厳密に言うとたくさんのものを禁じているので、信仰の深さとは必ずしも一致しない個人差がある。公的機間の定めた基準を守っている店には「HALAL」の看板が掲げられ、スーパーでも豚肉などを扱う一角は「NON-HALAL」のもとたいていの場合申し訳なさそうにすみっこに陣取っているなど、何系がやっていようと基準を守る事はできるはずだが、それでもムスリムの店の方が安心、という人たちもいる。理屈ではないのだ。私の通っていた大学には十あまりの食堂があり、中華系もインド系もあったがすべて「HALAL」であった。それでも、例外は多々あれど、基本的に、マレー系はマレー人の調理するマレー料理店へ、マレー系と一緒に行く。一方で宗教的規定のないことの多い(宗教上ベジタリアンも多い)中華系も、中華料理をえらぶのだ。学校の食堂でも、民族混合のグループはめったにみられず、各料理のコーナーにその民族が固まっているのが一見して見て取れることに、多民族社会の「あやうさ」のようなものを感じてしまうのは私だけではないだろう。
 
 

 そんな状況がある中、「ロティ・チャナイ」が国民的食べ物として愛され、「ママック」の店がすべての民族の集う場となっている意味は深いと思う。マレーシアで優位な立場にあるムスリムの食べ物だから、公式に認めて差し支えない。なおかつ、それが多数派のマレー系の由来ではなく、少数派のインド系の由来だから反感も持たれない。そんな絶妙さの上に成り立つ「国民的」食べ物がロティ・チャナイなのである代表的夜遊びスポットである深夜の「ママッ」には、多民族の若者が集い、それぞれのテーブルでそれぞれの民族の仲間と、ロティ・チャナイとテタレを楽しみながらともにマンチェスター・ユナイテッドの試合に見入っている。場を共有し、楽しみも共有し、それでも各々の世界を保っている。ママッの広げるロティ・チャナイは透けるほど薄くなっても破れることなく、絶妙な味をかもし出す。こう考えると、ロティ・チャナイはまさに「マレーシアを代表する食べ物」にふさわしいなあと思う。スシ、テンプラは日本のどんな事を象徴しているのだろうか。身近な事ほどわからないものである。個人的には、上で考察した二つの意味でロティ・チャナイに匹敵しうる日本の代表的食べ物は、「カレーライスとラーメン」ではないかと思っている。「パフォーマンス」があるとよりよいのだが。



 

 



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