【Fami Mail】 特別寄稿連載  
 

特別寄稿

「まちゃむまちゃむmacam macam・マレーシア」
〜マレーシア留学記〜

東京学芸大学大学院教育学研究科 久志本 裕子

<はじめに>
まちゃむまちゃむ(1)  カンポンと油やしとツインタワー
まちゃむまちゃむ(2)  ハッピー・ラマダーン(断食月)の憂鬱
まちゃむまちゃむ(3)  ことば、ことば、ことば―英語コンプレックス克服法?―
まちゃむまちゃむ(4) ロティ・チャナイの含む絶妙な「空気」
まちゃむまちゃむ(5) 「上を向いて歩こう」の威力
まちゃむまちゃむマレーシア 最終回
「まちゃむまちゃむのくれたもの−グローバリゼーションは月餅の中に−」


まちゃむまちゃむ(5) 「上を向いて歩こう」の威力
  まちゃむまちゃむな留学生活も後半になって、マレーシアで歌手デビューするはめになった。といっても、学校のホールの舞台で新入生1000人ほどを目の前に日本人留学生二人で「上を向いて歩こう」を歌っただけの話なのだが、恥さらしな私の人生のなかでも最も恥ずかしかった瞬間の第1位を飾ることは間違いない。

 

 マレーシアの大学はイベント好きである。学生の3人に1人は住んでいると思われる寮が敷地内にあることもあり、土日だけでなく平日夜の9時から11時、などという時間で学校のホールを利用して演劇や伝統音楽、ダンスなど様々な催しものが開催される。しかし、普段の催し物はたいてい、民族別である。マレーの伝統の演劇なら、会場は色とりどりの頭巾でいっぱいになる。華人の伝統音楽なら、会場は真っくろである。このような状況を憂慮してか、たまに全民族がそれぞれの文化を紹介するイベントや、逆にどれにも属さない日本文化を紹介するイベントが開かれたりもする。
 新入学シーズンには、学校も新入生のアイスブレイク、とくに民族間の融合に必死である。一年生はどんなに家が近くてもまずは全員寮に入らなければならず、オリエンテーション期間は学校を出ることさえ許されない。毎晩ミーティングがありそこではゲームやディスカッションをする。そこで10近くある寮のそれぞれが出し物を練習し、その粋を競い合うことで団結を強めようという催しが全学レベルで企画された。
 

 毎晩夜中まで劇だの歌だのを練習する新入生の様子を他人事ゆえにおもしろがって見物していたある日、私が滞在していた寮の事務所から呼び出された。日本人の友達と一緒になにかとおもって行ってみると、明日の舞台で「インターナショナル・スチューデント」による出し物が予定されているので、今すぐ留学生を集めてなにかやって欲しいという。広大なキャンパス周辺にばらばらに滞在している各国留学生を明日までに集めてなにか練習しろなど、無理もはなはだしい。試しに「無理だ」といってみるが「でも、もうきまっているの。着物を着て日本の歌でも歌ってよ。」とこたえる様子はない。こちらに話もせずに勝手にプログラムを決めて、しかも前日に決めるなど言語道断、といっても無駄なのだ。自分の常識が通用しないことに腹を立ててもしかたのないことはいくらでもある。
 さて、笑って見ていた他人事はいきなり自分のことになってしまった。仕方がないので、炎天下の学校をかけずりまわってカナダ、オーストラリア、スウェーデンなんかの留学生を集め、寸劇をやることになった。やりはじめると彼らの中で結構盛り上がって欧米的なオーバーアクションでシンプルな笑いの物ができ、夕方にはリハーサルの舞台に上がることができた。たしかに日本人的にはちょっと首をかしげるものではあったが、短時間で作ったにしては上々のできである。ところが、である。それを見た依頼人のマレー人は苦笑いしてポツリと一言…「いまいちだね」。
 

 留学生たちのやる気が完全になくなったのは当然である。しかし主催者の「えらいさん」はそんな留学生たちのことも省みず、我々日本人を捕まえて「やっぱり、日本の歌がいいよ。」といけしゃあしゃあという。やっとわかったが、彼らは、「インターナショナルなショーをやる」ことと、「日本文化を見せる」ことを完全に同義にとらえていたのだ。うすうす感じてはいたものの、ここでは「外国」というと、日本。望ましい外国文化の代表は、日本文化なのである。もちろん、「ブリティッシュ・イングリッシュ」へのこだわりにみられるように、かつての植民者であるイギリスの影響は大きい。しかし、現在特に電化製品などのモノやTVなどの情報を通じて多くの人々の心に訴えているのは、他でもない日本なのである。それゆえ、私がどんな人間かなんてわからなくても日本人だからというだけで憧れられ、友達になりたいといわれる。それは時にはたいへん「お得」であるが、多くの場合非常に寂しくもある。みんなが興味を持つのは「私」ではなくて、「ある日本人」なのだから。

 

 今改めてこの体験を思い出すとふと、「国際交流」とは何か、と考えてしまう。例えば留学生を呼んでその国の料理を作らせる。「国際人」になるために、WASP限定の「アメリカ人」に英語を習う。そうすることで、少しでも自分の育った文化とは違うものがある、ということを知り、興味を持つのはおおいに良いことかもしれない。けれども同時にそれは、他の誰でもない目の前の「あなた」を、「○○人」あるいは「ガイジン」にしてしまうことでもある。果してそんな「国際理解」は、「人間同士の交わり」につながるのだろうか。
 

 さて、その後の話に戻ろう。結局留学生たちの結論は、「降りる」であった。しかし主催者側は「何かやってくれないと困る」の一点張り。半ばやけになって提案したのが、カナダ人の親友による司会のもと、日本人二人でマレー人の伝統衣装「バジュクロン」を着て「上をむいて歩こう」を歌うことだった。「ギターを持ってる」というウワサの友達の友達を巻き込んで本番30分前に練習開始(実は彼女が一番の被害者である)、あっというまに私達はスポットライトの中マイクを手にしていた。
 同じく「バジュ・クロン」姿のカナダ人の親友がマレー語で挨拶をすると、会場が沸き立った。ギターのイントロにつづいて「上をむーいて…」と歌い始める。ふと客席を見ると、さっき帰ったはずの留学生たちが見ている。一瞬生じたどうしようもなく複雑な気持ちはライトの熱で飛び去り、気がついたら拍手の中にいた。外に出ると、「よかったよ、よかったよ」と絶賛の嵐。微妙な興奮に包まれて寝苦しい夜だった。

 

 次の日はもう、オリエンテーションのお祭り騒ぎも終了し、普通の静かな新学期だった。ここからが修羅場で、履修登録のためあちこちの事務所を渡り歩いては手続きをおこなわなくてはならない。仕事の効率の最も落ちるお昼過ぎ、対応の悪さで悪名高いある事務所に行った。半分「無理かな」と思いながら、おそるおそる「おねがいします」と一通の書類を差し出す。明らかにいやそうにこちらを見上げたおばちゃんの顔が、ちょっとかわった。若干の沈黙の後、彼女はいった。「あんた…歌、歌った?」。ためらいながらうなずいた私は次の瞬間VIPと化し、「そうかそうか、昨日は良かったよ、うん。」とニコニコおしゃべりしながらも手続きは今までにない速度で終了したのであった。



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