【Fami Mail】 特別寄稿連載  
 
『噛めば噛むほどYale − 胸の高さで見た景色』
〜目次〜 イェール大学留学記
*題名について
Yale University(イェール大学) 林学及び環境学スクール
環境科学修士&開発経済学修士
大司 雄介
<第6回>アフリカの発展

 僕の研究は少しずつ、軌道に乗ってきました。しかし、僕の研究自体が、「空港で旅行者にアンケートをする」という、非常に興奮度の低い内容であるため、それを紹介するのはやめにします。

 今回はちょっと趣向を変えて、マダガスカルという窓を通して、アフリカ全体を見てみたいと思います。

 『アフリカ』といって私たちが思い浮かべるものはなんでしょう。砂漠、貧しい、人口爆発、伝染病、エイズ…、ネガティブな要素がほとんどではないでしょうか?

 もちろん、アフリカ諸国それぞれが、独自の歴史や文化を有していますが、そういったネガティブな概要は、ある側面においてはアフリカ(特にサハラ以南のアフリカ)を的確に現しています。

 世界の中で、1日2ドル以下で生活している人々の分布を見ると、その多くがアフリカと南アジアに集中しています。
 人口増加の指標となる出生率を見ると、一人の女性が一生の間に生む子供の数が4.5人を超えているのは、アフリカと一部のイスラム諸国がほとんどです。
 さらに恐ろしいことには、アフリカの一部の国々では、エイズの問題が、これらの国の将来を真剣に脅かすまでになってきました。
 例えば、ボツワナという国があります。この国は、90年代の後半までは、過去35年間において世界最高の成長率を維持してきました。あの韓国やシンガポールよりも急速に発展してきた国なのです。しかしここ数年は、エイズが急速に広がり、人々の平均寿命が急激に下がり、国家経済を脅かすまでになってしまったのです。

 
(地図出典:Worldbank - Millennium Development Goals)


なぜアフリカ?

  でも、そもそも、なぜアフリカは貧しいのでしょう?なぜアフリカばかりが、このような、負の側面を背負っていかなければならないのでしょう?

 これに対する答えは、学者の間でも非常に大きな隔たりがあります。

 今回は、僕がマダガスカルで見てきた経験をもとに、ちょっと考えてみたいと思います。そしてアフリカがなんとなく、遠い世界のことのように思っている(かもしれない)みなさんにも、考えてもらえたらな、と思います。
(ちなみに、地図からもわかるとおり、マダガスカルも真っ赤です。
 つまり国民の二人に一人が、1日2ドル以下で生活している、世界最貧国の一つとして数えられています)

アフリカの歴史

 アフリカの国々は、その長い歴史を通して、常に世界の列強の踏み台にされてきました。遠く昔は奴隷貿易に始まり、第一次大戦の時には、先進国(あるいは軍事力のある国)の思惑に踊らされ続けてきました。アフリカの国々の国境が、直線で仕切られているのは、列強が、その地域に住んでいる部族やそれらの文化を無視して、経線・緯線にそって国を分け合ったためです。

 1960年代に、アフリカ諸国は次々と独立しました。彼らの多くは、「これからは、僕たちもアメリカやヨーロッパ、日本のように発展するんだ!」と夢や希望を抱いていたことでしょう。
 しかし、それから30年以上を経た今も、アフリカの国々は、依然として貧しいままです。それどころか、我々先進国との差は広がるばかりです。さらに悲しいことに、ここ数十年のアフリカ諸国の成長率を見ると、多くの国がマイナス成長となっています。つまり、状況は以前よりも悪化しているのです。

 世界の中には、ラテンアメリカや東南アジア諸国のように、急激な発展を遂げた国々もあります。
なぜそれがアフリカでは起こらないのでしょう?

二つの仮説

 一つの説としてあげられるのが、アフリカの『気候説』です。
 現在先進国と呼ばれている国々の多くは、寒い気候帯、あるいは四季のある気候帯に属しています。しかし多くの国が熱帯か砂漠地帯に属するアフリカでは、その気候が経済停滞の原因となっているのではないか、と言われているのです。熱帯地域では、その気候が人々の生産性を下げるばかりか、マラリアやコレラといった伝染病が頻繁に起こります。砂漠地方では、農業が発展しません。この説は随分説得力がありそうです。

 もう一つの説は、かつての殖民諸国(主にフランスとイギリス)が、被植民地の後の発展に影響を与えているのではないか、という『植民地説』です。
 実際に、西アフリカで貧しい国々の多くは、旧フランスの植民地でした。つまり、フランスの植民地であることが、なにかしらの悪影響を与えているのではないか、という仮説です。マダガスカルも、旧フランスの植民地です。

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子供達

この向うはアフリカ大陸

朝焼け

マダガスカルでは

 僕は特に二つ目の仮説を、マダガスカルで実感したように思います。それを少し紹介しましょう。
 しかし、これらは非常に大雑把な仮説であり、さらに十分な検証が必要なことは言うまでもありません。
 そして僕の観察も、3ヶ月という非常に短い期間に行われたもので、しかも僕の主観的な意見に基づいたものです。

 反論の余地はいくらでもあります。でも、みなさんに、アフリカの貧困について考えていただくには、良い起点になるのではないかと思い、批判を承知のうえであえて紹介します。

 フランスの植民地であることの問題とはなんでしょう?僕がここで紹介したいのは、「言葉」と「ビジネス」です。

フランス語の弊害・フランス式ビジネスの弊害

 旧フランス植民地の国々は、今でもフランス語が公用語のひとつとなっております。当然マダガスカルでも、国民の多くが、マダガスカル語とフランス語を話します。

 実際、僕が現地の人と会うことがあると、まず必ずといっていいほど聞かれるのは、「お前はフランス語を話すのか?」ということでした。ちなみに、僕はフランス語が一切話せません。そして、マダガスカル人のほとんどは英語が話せません。そのため、僕たちの会話はそこで終わってしまいます。

 この英語の浸透度の低さはどこにいっても同じです。ホテルでも、どのような交通機関でも、英語を話せる人がほとんどいないのです。

 僕は大学時代に、途上国と呼ばれる国々を、一人で旅してきました。その時は、どこの国に行っても、ホテルやタクシーの運ちゃん、電車の窓口など、旅行者と接する機会のある人々は、少なからず英語を話しました。そのため、コミュニケーションに困ったという記憶はほとんどありません。しかしマダガスカルではそれが通用しないのです。

 僕がマダガスカルで最初に滞在していたホテルでは、昼の間は英語ができる女性が働いていたものの、夕方に彼女が仕事を終えて帰ってしまうと、残された人は誰一人として英語が話せませんでした。
 レストランで食事をとるとき、当然メニューも全てフランス語なので、僕はウェイターに「これはどんな料理ですか?」と聞きます。すると毎回返ってくる答えが、「ウィ」でした。フランス語で英語のYesにあたるものがウィです。これではらちがあかないと思い、僕は途中からセンテンスで英語を話すのをやめ、身振り手振りで意思疎通を図るようになりました。

 言葉が通じないことで受けた苦労話は、思い出せばきりがありません。
 でも、マダガスカル人が英語を話せないことによって、僕が不便を被るのだって、もともとの原因は僕がフランス語を話さないことにあります。英語が話せない彼らを見下しているわけでもないし、英語が世界の共通語になればいいなど、毛頭思っていません。僕は外国に行く以上、そこの言葉を話すのは、あるいは話そうと努力するのは礼儀であると思っています。

 だからこそ、僕はマダガスカル語を話そうと努力しました。フランス語ではなく。実際に僕は、フランス語は挨拶程度しか出来るようにならなかったけれど、マダガスカル語は結構上達しました。

 でも、そういうことではないのです。僕が問題だと思っているのは、マダガスカル人がフランス語しか話せないことではなく、彼らがフランス語を話せることで安心してしまっている、という事実です。「先進国のフランスの言葉を話せるから大丈夫だ」と。そしてフランスがマダガスカル経済を支えてくれていることにも安心してしまっているのです。「フランスが貿易・ビジネスの相手だから大丈夫だ」と。

 しかし、これは大きな誤りであると、僕は思います。フランス語を話せるということで、マダガスカルにとってどんなメリットがあるでしょう?

 ビジネスの上で、フランス人とは話せます。でも、世界でフランス語を話す国は、他にどこがあるでしょうか。カナダの一部。ヨーロッパのフランス周辺。あとはほとんどが貧しいサハラ以南のアフリカ諸国です。
 では、ビジネスでフランス人と話せることはどんなメリットがあるでしょう?マダガスカル人の多くは、フランスのビジネスは先進的だと思っています。だってフランスは先進国なのだから。でも、これも大きな誤りであると思います。フランスのビジネスは、いまだに旧体制から抜け出せない、オールドファッションな組織の集まりであると思います。
 フランスでは、郵便局など公的な機関は今でも長―い昼休みを取ります。200年前から変わっていません。そしてそれを当然のようにマダガスカルも模倣しています。これだって、年間のGDPの損失に換算したら相当な額です。

フランスでは

 では逆に、フランスはマダガスカルのようなアフリカの一国を、どうみているのでしょう?貴重なビジネスのパートナーだと思っているでしょうか?

 マダガスカルは、つい2年前に大きな転機を迎えました。これまで26年間の長期にわたって政権に就いていた、保守的(フランス寄り)のラチラカ大統領が失脚し、リベラルなラヴェロマナナ氏が大統領の座についたのです。マダガスカルにとっては、フランスとの強すぎる結びつきから、世界全体へと関係を結んでゆく良い機会です。

 まずラヴェロマナナ氏に、祝辞を送ったのはアメリカ政府でした。そして、ヨーロッパや日本といった先進諸国が続きます。フランスのシラク大統領が、祝辞を送ったのは、それからずっとずっと後のことです。
ラヴェロマナナ氏が今後、世界の市場との結びつきを強めれば、今までマダガスカルにおいて絶対的な利益を享受してきたフランスの輸出企業が大きな打撃を被るのです。

他の国々は

 ここで、フィリピンとインドに目を向けてみましょう。
 この二つの国では英語が公用語として話されています。この英語という武器を活かして、彼らは発展の階段を上ろうとしています。

 アメリカのコンピュータ会社は、電話によるヘルプサービスセンターをこれらの国に置き始めたのです。これらの国では人件費が安く、しかも国民が英語を話せます。そこに目をつけたのです。こうして、マイクロソフトやデル、IBMがセンターをこれらの地域に移転し始めました。
 その結果、これらの国では大きな雇用が生まれたのです。僕がコネチカット州の自宅から、フリーダイヤルのヘルプサポートに電話をすれば、インドのオペレータと話す、ということが日常的におこりつつあるのです。

 さきほども述べたように、僕は英語にしろアメリカ式ビジネスにしろ、アメリカのやり方が世界の主流になりつつある現状を、決して心地よく思っているわけではありません。
 世界の人々が英語しか話さなくなったら、非常につまらない世界になってしまうし、世界の政府がみんなアメリカの政府みたいになってしまったら、僕は地球市民をやめたくなるかもしれません。

 しかし、マダガスカルは貧しいのです。アフリカの端っこの島国で、地理的にも有利とは言えません。そういう国が、国民の生活を少しでも引き上げたいのであれば、今はがむしゃらに、果実を求めていかなければならないと思うのです。

 そういうときに、フランスは決してよい手本とは思えないのです。


実際は

 このようにして、僕は「フランスを旧宗主国として持つことの弊害仮設」を、実体験に基づいて支持するに至りました。

 しかし、この仮設、専門家たちの間では、懐疑的な視線で見られています。そうですよね、それだけで一国の成長が理論付けられてしまうほど世界は単純ではないのです。
 アフリカの国々だって、成長する可能性を十分に秘めているかもしれないのです。

 最後に、もう一度、みなさんに聞かせてください。

 アフリカと聞いて思い浮かべるものはなんでしょう?最初に挙げたネガティブな側面以外にも、魅力的なことはたくさんありますよね。様々な動物、未知の土地、雄大な自然…。
 こうしたアフリカの特色を活かすことで、アフリカの発展を手助けできないだろうか、という考えが動き出しています。

 そして来月号では、これらの側面から、アフリカ、マダガスカルの発展について考えてみたいと思います。


2004年3月15日

つづく


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