【Fami Mail】 特別寄稿連載  
 
『噛めば噛むほどYale − 胸の高さで見た景色』
〜目次〜 イェール大学留学記
*題名について
Yale University(イェール大学) 林学及び環境学スクール
環境科学修士&開発経済学修士
大司 雄介
<第7回>ひき続きアフリカの発展そして環境保全

 日本は第二次世界大戦で焦土と化し、その後急速な発展を遂げました。そして1970年ころに、GNPで世界第二位の経済大国になるに至りました。
 数えてみれば戦争が終わってたったの25年です。一世代も経過しないうちに、世界の下のほうから頂上へと駆け上ったのです。日本経済の成長が、「奇跡」とまで呼ばれるのはそのためです。
 そしてその後、韓国、シンガポール、東南アジアの国々が成長の階段を昇っていきました。

 日本やこれらの国々は、なぜ急速に発展したのか?
 アフリカはなぜ発展しないのか?
 これらは、開発経済学者にとっては究極とも言える命題です。日本や東南アジアの例を見習って、アフリカに適用できないか、という流れがあります。

 その一方で、アフリカに豊富な天然資源を有効に使って、アフリカの発展を進めていこうという新たな動きも起こり始めました。

 天然資源といってまず思い浮かぶのは、石油や鉱山資源ではないでしょうか。実際、アフリカの中にも、これらの資源が豊富に埋蔵されている国がたくさんあります。ナイジェリアはアフリカ最大の産油国です。先月に紹介したボツワナはダイヤモンドで潤っています。コンゴ(旧ザイール)の地下には豊富な鉱山資源が眠っていると言われています。

 しかし、アフリカの国々の成長を語るうえでは、『豊富な石油・鉱山資源』というのは必ずしもポジティブに働いていない面があります。これらの資源が持つ、大きな(金銭的)魅力のために、国内政治が腐敗する傾向が高いのです。また、このような政治体制の下では、天然資源からの莫大な収入をごく一部の人々のみが独占する傾向が強いために、むしろ貧富の差が広がる恐れがあります。貧富の差は、結果的にその国自体を不安定にします。

 過去数十年にわたって急速な成長を遂げてきたボツワナが、韓国のように変化を遂げていない理由のひとつとして、このような天然資源に伴う問題点が挙げられるのかもしれません。

 しかし、天然資源は、必ずしも地中に眠っているとは限りません。日々、アフリカの大地を駆け抜けてゆく天然資源も存在するのです。
 そうです、ケニヤのキリンやカメルーンのマウンテンゴリラ、マダガスカルのレムールも愛すべき天然資源なのです。さらには、アフリカの熱帯雨林、そしてその中に生息する小さな昆虫たちも貴重な天然資源です。そして、これらの動植物は、アフリカの国々にとって貴重な外貨獲得手段となり得るのです。
 石油や鉱山資源に加えて、これらの「生きた」資源を活用して、アフリカの発展を進めていこうという動きが強まりつつあります。

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昆虫からお金

  なぜ、昆虫たちがお金につながるのでしょう?
 それは、熱帯雨林に生息する植物や昆虫たちの中には、薬の成分となる物質が含まれている可能性があるからです。
 実際に、現在私たちが使っている薬の多くは、植物・昆虫の中に含まれる物質から作られているのです。
 そしてアフリカの熱帯雨林には、まだ発見さえされていない新種の動植物が多数存在すると考えられています。そうした新種の植物や昆虫から、癌やエイズの特効薬となる物質が発見される可能性があるのです。
 かつて、アマゾンの熱帯雨林の巨木を切り倒して、そこに生息していた昆虫の数を数えたという、一見馬鹿らしい研究が行われました。
 その結果は、なんと、1本の木に1万種類もの昆虫が生息しているのが確認されたのです。1万匹ではなくて、1万種類です。
 熱帯雨林の有する大きな包容力を如実に現す話です。

動物からお金

 エコツーリズムという言葉を耳にしたことのない方はほとんどいないと思います。環境保護型の旅行のことで、ここ10年ほどの間に、大きな人気が出てきています。
 エコツーリストと呼ばれる、環境を愛しちょっと冒険好きな旅行者にとっては、アフリカの大地は大きな魅力となっています。
 ヨーロッパやアメリカ、日本などから毎年何十万人もの旅行者がアフリカを訪れ、その豊かな自然を堪能するのです。
 観光業は、アフリカの国々の政府にとっては、本当に魅力的な収入源です。観光業はいまや世界最大の産業に発展しました。
 そして、アフリカへの旅行者の数は、急速に伸びているのです。

所得再配分

 私たちのように、お金をたくさん稼ぐ国の旅行者が、貧しい国々を訪れ、お金を使えば、直接的に所得の再配分を行っていることになります。単純に言ってしまえば、金持ちが、そうでないものにお金を回すことです。

 国家内においては、税金という形で所得の再配分が行われています。累進課税によって金持ちから余分に税金を徴収し、生活保護給付などの形で、社会的弱者を助けるのです。

 ただ、国家間となると、所得の再配分機能は、ODAなどの援助の形をとることがほとんどです。最近、『姿が見えない』と批判されがちな国家間同士の援助ではなく、自分で稼いだお金が、ブルキナファソの道端でお土産を売っている女性のポケットに直接入るというのは、非常にわかりやすい再配分です。

 僕は途上国を旅行するときに、いくつかのルールを守っています。そのひとつが、可能な限り、「大きな会社ではなく、地元の人の経営する店を利用すること」です。
 食事の際も、地元の人が使うような定職屋を利用するのです。このような地元の定職屋さんは、必ずしも清潔とは言えません。でも、レストランにはないような親近感を感じることができたり、たまにハッとするほど美味しいものにありつけたりするのです。1食50円程度の出費によって。それを可能にしてくれるのは、僕の丈夫なお腹です。これまで外国でお腹をこわしたことがありません。これは両親から授けられた天性の才能のひとつです。
 お土産も同じです。だいたいどこの国も、女性のグループによって作られた手芸屋さんや、身体障害者によって作られた手工芸品屋さんが存在します。そういうところで、お土産を買うのです。僕は必要以上に買います。必要以上に買ったって、1000円ほど余分に払う程度です。でも、彼らにとっては、その1000円が重要な労働の対価なのです。

 我々が旅行者として途上国を訪れることは、このような、一見小さいけれども非常に重要な意味合いを持っているのです。

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環境保護と開発

 環境を保護することで、植物や昆虫から新薬を生成する、あるいは外国から旅行者を招き入れ、外貨を獲得する。そして発展する。これは非常に聞こえの良いサクセスストーリーです。しかし、現状はそれほど単純ではないのです。

 環境を保全するということはすなわち、「環境を切り崩して利用したときの利益」が得られないということを意味しています。例えば、森林を木材にして得られる利益や、そこに工場を建てることによって得られる利益、そういった諸々の利益が得られなくなるのです。

 これらの利益と比較して、森林保全をしたほうが将来的に高い利益が見込める、ということを示さない限り、国民を納得させることができないのです。

 環境を保全することによって得られる利益。この計算でさえ非常に大きな問題をはらんでいます。観光業から得られる利益は、比較的簡単に計算できたとしても、新薬に使える物質を持った昆虫を発見し、薬を精製できたときの利益はどうやって計算するのでしょう?
 さらには、現地の人が環境に対して見出している、霊的かつ形而上的な存在意義をどうやって計算するのでしょう?
(これも経済学の世界では、『理論上』は解決できると考えられています。 ただ、僕はこのような、全ての人間を合理的であると想定し、ひとつの枠型にあてはめてしまう経済学的手法を受け入れられなく感じることがあります。)

 さらには、たとえ環境の価値を数字で表せたとしても、国民の納得が得られないかもしれません。と言うのは、一般的に、経済発展の原動力となるのは工業化である、という考えが根付いているためです。それが、全ての先進国が辿ってきた道だからです。

 さらには、そうした熱帯雨林に住む人々の多くは、国民の中でも最下層に位置する貧しい農民です。彼らにとっては、何年先に生じるかもわからない旅行者からの利益よりも、明日を生きるために森を切り倒して開墾する必要に迫られていることが多いのです。
 こうした状況により、アフリカの、そして世界の森林は日々縮小しているのです。

 僕の訪れたマダガスカルでも同じことが起こっていました。貧しい農民によって森は切り開かれ、国内にもともとあった森林の8割が消滅しているのです。
 その結果、当然ながら、森に住む動物たちは住処を追われ絶滅し、森林が持つ土壌保持機能は失われ洪水などの被害が多く見られるようになりました。

 本稿第5回にも書いたとおり、僕はマダガスカル人の貧しさに、そして他の多くのアフリカに住む人々の貧しさに、やるせない何かを感じています。
 目の前にある氷が溶けていくのを、なすすべなく見守っているようなもどかしさがあります。
 彼らは、先進国の人々と比べて、生産性に劣っているわけでも、人間性に劣っているわけでもないのです。
 彼らは我々と同じように、生活向上のためになら素晴らしいアイデアを生み出すし、努力だってするのです。
 ただ、生まれた環境が違うだけで、1日2ドル以下での生活を強いられているのです。


 僕の研究は、こうした人々の生活を、少しでも改善するために役立つのではないかと信じています。
 僕の研究は、マダガスカル政府がエコツーリズムを促進したときに、どれほどの利益が得られるか、という研究です。

 今はまだ研究の真っ最中です。気の長くなるようなデータ入力をして、データを統計ソフトに取り込んで、色気もなにもない分析をしています。数字ばかりです。夜寝ている間に、小人がたくさん現れて、かわりにやってくれないかな、と思ってしまうタイプの仕事です。

 でも、その結果は、マダガスカルで出会った愛すべき人々の生活を、多少なりとも改善するだけのインパクトがあると信じています。
 環境保全によって得られる利益(この場合、エコツーリズムによる利益のみです)は、その土地を新たに切り開いて工業化を行うよりも、より大きな利益を生み続けると信じているからです。(最終的にいくらになるのかは、なんともわかりませんが、数十億円から数百億円単位の『利益』になるのではないかと予想しております。)

 これは経済学的手法を駆使した研究で、僕が先ほど挙げた経済学の問題点をそのまま含んでいるのも事実です。そして僕の研究によって導き出された『環境の価値』が、絶対的な指標ではないこともわかっています。
 しかし、現在、人類に与えられた知恵が提供しうる最善(と思われる)手法によって研究をしているのも確かなのです。

 

私たちは何をするべきなのか

 アフリカの貧しい国々は、今、懸命に発展への階段を昇ろうとしています。しかし悲しいことに、現在の世界経済の流れは、流れに乗り遅れた国々を待っていてあげるような心は持ち合わせてないように思います。

 それならば、我々先進国の国民が、少しでも手を差し伸べてあげる必要があるのではないでしょうか。
 これを読んでいる読者の方が将来、ガーナやナミビアを訪れる機会があったなら、是非、道端で商売をしている女性に目を留めてほしい。
 そして彼らの商品を買ってほしい。十分に値引いてください。それでいいと思うのです。そしてその交渉を楽しんでください。
 北アフリカの商人ならば、紅茶を出してくれるでしょう。10分も20分もかけて、ゆっくり交渉してみてください。それが、責任のある旅行だと思います。
 こうした我々一人一人の行動が、本当に非力に見えながら、もしかしたらもっともパワフルな、発展への起爆剤になるかもしれないのです。

2004年4月15日

つづく


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