第1問目に続く2問目は、たいがい「なぜ、そのような仕事に興味をもったのですか?」です。
そもそものきっかけは、大人(?)の頭をもっていながら、言葉がついていかないときのもどかしさを味わったことでした。おそらく海外生活をしたことのある人なら、誰でも少なからず経験していることではないでしょうか。
私はもともと、「言語オタク」(自称)で、外国語が好きだったということもあり、高校時代に1年間カナダ東部のフランス語圏・ケベック州に留学しました。フランス語の知識など”oui”(はい)と”maison”(家)(漫画のタイトルで覚えた)の2単語しかないまま、ケベックの中でも最もフランス語人口比が大きいといわれる地域に放り込まれました。多大な期待だけを抱いて飛び込んだ世界で直面したのは、カルチャーショックのウキウキもイライラも表現できず、いろいろ”Japon,Japon” と日本のことを聞かれているのに理解できず、すべてにおいて頼りっぱなしのホストファミリーにもろくにお礼も言えない日々。「言いたいことは頭の中にこんなにあるのに!」・・・しかし、それらを形にするスベがないことで、もどかしさ、息苦しさ、無力感がつのり、このうえない自己嫌悪に陥ったものでした。幸い、ホストファミリーと学校側の手厚いサポートと指導のおかげで、1年の間にずいぶんとフランス語も上達しましたが、最後の最後までコミュニケーション時のじれったさは抜け切らなかったように思います。
カナダ留学直後から、親の転勤でカリフォルニアに移り、そこで大学に進学しました。神経生物学の授業だったか言語学だったか・・・ハッキリとは覚えていませんが、初めて「失語症」の話を聞きました。それは、脳卒中や脳梗塞など何らかの原因で脳の言語中枢にダメージを受けると、直前まで普通に使っていた言葉が理解できなくなったり、使えなくなったりするという内容でした。
そのとき、まさに自分の留学中の体験?-あの窮屈で吹っ切れないイライラ感--が蘇ってきました。失語症のもどかしさを想像しただけで、いたたまれなくなりました。しかも、私のような外国語を話せないだけで、ある時期がくれば母国語の日本語の世界に戻れる、ストレスもたまれば手紙だって書ける(そういえば、まだメールの普及してない時代でした)という「期間限定モノ」の「コミュニケーション障害」ではないのです。今まで当たり前のように使っていた母国語が、突然自分のものでなくなり、いつ回復するかもわからない状態になってしまったのです。想像がつきますか?
ショックが抜けやらぬ頃、SLPという仕事の話を耳にしました。小さい頃から祖父母大好きのジジババっ子で、ご老人と接するのが好きだったこともあり、SLPの話を聞いたとき、ふだんは直感の極めて鈍い私なのですが、「職はコレだ!」とピンと来たのです。
・・・と、まぁ、第2問目に対してはこんな話を繰り返すわけですが、こうした経緯で、私はそのヒラメキを信じて修士を修得し、2002年に晴れてSLPになりました。「ご老人とふれあう毎日」を思い描いてこの道に進んだ私ですが、今は主に小学校と幼児の早期セラピーで、キッズとふれあう日々を過ごしています。ジジババにとって永遠の子どもであった私には、案外こっちの方が適役かも?と、妙に自分でも納得しています。
今回は主に自己紹介となりましたが、次号から数回にわたり雑談も絡め、Special Educationの謎解き(?)をしたいと思います。どうぞ、おつきあいください。
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