スピーチセラピスト (カリフォルニア在住13年)
鑓溝(やりみぞ)純子

第1回 スピーチセラピストって

 
 はじめに

「スピーチセラピストって何をする人ですか?」

自分の職業を明かすと、決まってこんな質問が返ってきます。

実のところ、この質問には毎回「来たか!」と構えてしまうのです。というのも、これがなかなか一言では説明しにくい職業だからです。ふだんは、「お話の遅い子の言葉の発達のお手伝いや、病気などで言葉を失った方たちのリハビリのお手伝い、摂食障害のセラピーなんかもします」と、かなり大雑把な説明をしています。

 

一般的にスピーチセラピスト(ST)として知られるこの職業は、アメリカでは、正式にはSpeech Language Pathologist(SLP) といいます。日本でも1998年に「言語聴覚士」という国家資格として認定されました。しかし、アメリカでも50年以上存在する職業ながら、なかなか一般の方には馴染みが薄いのが現状です。

 

SLPの仕事は、大まかに医療・介護機関と教育機関における2分野に分かれます。日本では、SLPのサービスは前者の医療系サービスの一部という印象が強いと聞いています。私は、アメリカでこの職業と出会い、勉強し、主に後者の児童教育にこの4年間携わってきました。

 

そこで、せっかくこのコラムを書く機会をいただいたので、主にアメリカの公立学校におけるSpeech Therapy(言語訓練)を含むSpecial Education(特殊教育)について、もう少し掘り下げてお話をしたいと思います。海外で生活をしていると、日々の雑事に加え、お子さんの教育面などでもたくさんの疑問に直面するものと思います。特殊教育のシステムなどは、さらに不可解なのではないでしょうか。

「子どもの発達・学習が心配だけど、どうしたらいいのかわからない」「自分の家族には直接関係がないけれど、周りに関わりのあるお友達がいる」「ただ、なんとなく興味がある」このコラムは、あくまでも一個人の経験にもとづく限られた情報にすぎませんが、少しでもそういった方々の疑問に答えられれば嬉しいと思います。「何をする人ですか?」のおしゃべりの続きのつもりで、気軽に読んでみてください。

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児童の合作であろうと思われる校舎入り口の壁画。
色々な肌、髪の毛、目の色のキッズが楽しそうに並んでいる。
ちなみに、我が校は約5割がラテン・キッズ。



 きっかけ

第1問目に続く2問目は、たいがい「なぜ、そのような仕事に興味をもったのですか?」です。

 

そもそものきっかけは、大人(?)の頭をもっていながら、言葉がついていかないときのもどかしさを味わったことでした。おそらく海外生活をしたことのある人なら、誰でも少なからず経験していることではないでしょうか。

 

私はもともと、「言語オタク」(自称)で、外国語が好きだったということもあり、高校時代に1年間カナダ東部のフランス語圏・ケベック州に留学しました。フランス語の知識など”oui”(はい)と”maison”(家)(漫画のタイトルで覚えた)の2単語しかないまま、ケベックの中でも最もフランス語人口比が大きいといわれる地域に放り込まれました。多大な期待だけを抱いて飛び込んだ世界で直面したのは、カルチャーショックのウキウキもイライラも表現できず、いろいろ”Japon,Japon” と日本のことを聞かれているのに理解できず、すべてにおいて頼りっぱなしのホストファミリーにもろくにお礼も言えない日々。「言いたいことは頭の中にこんなにあるのに!」・・・しかし、それらを形にするスベがないことで、もどかしさ、息苦しさ、無力感がつのり、このうえない自己嫌悪に陥ったものでした。幸い、ホストファミリーと学校側の手厚いサポートと指導のおかげで、1年の間にずいぶんとフランス語も上達しましたが、最後の最後までコミュニケーション時のじれったさは抜け切らなかったように思います。

 

カナダ留学直後から、親の転勤でカリフォルニアに移り、そこで大学に進学しました。神経生物学の授業だったか言語学だったか・・・ハッキリとは覚えていませんが、初めて「失語症」の話を聞きました。それは、脳卒中や脳梗塞など何らかの原因で脳の言語中枢にダメージを受けると、直前まで普通に使っていた言葉が理解できなくなったり、使えなくなったりするという内容でした。

そのとき、まさに自分の留学中の体験?-あの窮屈で吹っ切れないイライラ感--が蘇ってきました。失語症のもどかしさを想像しただけで、いたたまれなくなりました。しかも、私のような外国語を話せないだけで、ある時期がくれば母国語の日本語の世界に戻れる、ストレスもたまれば手紙だって書ける(そういえば、まだメールの普及してない時代でした)という「期間限定モノ」の「コミュニケーション障害」ではないのです。今まで当たり前のように使っていた母国語が、突然自分のものでなくなり、いつ回復するかもわからない状態になってしまったのです。想像がつきますか?

 

ショックが抜けやらぬ頃、SLPという仕事の話を耳にしました。小さい頃から祖父母大好きのジジババっ子で、ご老人と接するのが好きだったこともあり、SLPの話を聞いたとき、ふだんは直感の極めて鈍い私なのですが、「職はコレだ!」とピンと来たのです。

 

・・・と、まぁ、第2問目に対してはこんな話を繰り返すわけですが、こうした経緯で、私はそのヒラメキを信じて修士を修得し、2002年に晴れてSLPになりました。「ご老人とふれあう毎日」を思い描いてこの道に進んだ私ですが、今は主に小学校と幼児の早期セラピーで、キッズとふれあう日々を過ごしています。ジジババにとって永遠の子どもであった私には、案外こっちの方が適役かも?と、妙に自分でも納得しています。

 

今回は主に自己紹介となりましたが、次号から数回にわたり雑談も絡め、Special Educationの謎解き(?)をしたいと思います。どうぞ、おつきあいください。

 

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夕暮れの学校。日本の学校のように校門などなく、生徒は方々から集まってくる。校舎も、日本の高い建物とは違い、フラット。向かって左は、体育館兼カフェテリアの多目的ルーム。右は、幼稚園の教室。小学校の教室は裏方に並んでいる。
学校の中枢とも言えるオフィス。訪問者はまずここでチェックイン。あらゆる事務をこなし、校長室、保健室の管理も行うセクレタリーの働きっぷりは、お見事。私の"Speech Room"もこの左奥にある。
2006/2/15

つづく

 

 目次
第8回
2006/9/15
最終回
第7回
2006/8/18
バイリンガルと言葉の遅れ 〜障害か違いか?〜
第6回
2006/7/18
カルチャーショック
第5回
2006/6/15
スピーチセラピー◆パート2 【Language障害】
第4回
2006/5/15
スピーチセラピー◆パート1 【Speech障害】
第3回
2006/4/17
IEPに至るまで
第2回
2006/3/15
用語を覚えてプロ気分
第1回
2006/2/15
スピーチセラピストって

 


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