【Fami Mail】 特別寄稿連載 |
ケンブリッジ大学留学記 |
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第七回 イギリスの年末年始に思う |
今でも聖歌隊が続いているのはキングスカレッジの創始者ヘンリー六世のおかげなんだとか。ちなみに、聖歌隊の音楽は、CDでも発売されているので、興味ある人は購入してみてはいかがでしょうか? 今年は、ウチでも行ってみようか、なんて話になりましたが、朝から並ばなくてはいけない、子供がいて騒ぎ出したら大変、といった理由もあったのですが、最終的には、キリスト教徒でもないのにやめておこう、という理由で聞きに行くことはやめておきました。 ■メリー・クリスマスが言えなくてクリスマスも近づいた23日、研究室はわずか4人ほどしか来ていませんでした。その中に帰国の近いイラン人研究者がいたので、帰り際に、「クリスマスの3日間はどうするの?」と聞いてみました。「研究の総まとめもしないといけないし、たぶん研究室に来るよ。」との答えだったので、「クリスマスもワークだなんて、ちょっと寂しいクリスマスだね。」と言ったところ、(ご想像のとおりでしょうが)「別にイランにいたらクリスマスなんて祝わないし、どうってことないよ。」との答え。しまった、またもや軽率だったなぁ、と。 日本のクリスマスは完全にイベント化してしまって、そもそもキリスト教の文化だ、なんて意識は、多くのキリスト教を信仰していない日本人にとっては、意識の片隅にあるかないか、ぐらいではないでしょうか(例外もいらっしゃるとは思いますが)。自分も、キャロルを聴きに行くのにはブレーキがかかったとはいえ、それ以外では完全にどっぷりとクリスマスのイベント化に浸かっている身なので、家に小さなクリスマスツリーを飾ったり、ケーキを作ったり、といったイベントは当たり前のように感じている状態です。それゆえ、寂しいクリスマスだね、なんて発言になってしまうのですが(彼の家族がイランに先に戻っていることも考慮しての発言だったのですが)、ちょっと反省した次第です。相手の受け取り方次第では、かなり失礼なことになりかねません。 今年の紅白歌合戦のビデオを妻の実家から送ってもらったのですが、さだまさしの歌を聴いていて、そのことをまた思い出しました。なんでもあの歌は、アメリカ文化の影響を大きく受け、日本の商業化してしまったクリスマスを皮肉ったらしい(違ったらごめんなさい)歌なんだそうですが、あれをもしキリスト教以外の人(例えばムスリムの人達)が聴いたら、そうは受け取れない、すなわち、すぐには曲の深い意味が理解できるわけはないので、単にメリークリスマスと叫んでいる歌手と受け取るか、あるいは深読みしたところで家庭の平和な雰囲気の比喩として歌っているぐらいに捉えて、間違った反感を抱きかねないように思われます。 ドメスティックな番組とはいえ、日本の一年を締めくくる重要な番組なわけですから、そういった配慮もあった方がいいのではないでしょうか?それに、もし、そのような主義や主張などが強く入ったメッセージソングを放送し、象徴的な意味として「メリークリスマス」といった言葉を使うのであれば、前半でのんきに後藤真希&松浦亜弥に「メリークリスマス」なんてタイトルの入った歌を歌わせるべきではないでしょう、と言いたくなります。ちょっと過剰な反応でしょうか?ミスター・ビーンこと、ローワン・アトキンソンは、宗教に対する諷刺にまで法が及ぶのは良くない、といった趣旨のコメントを最近していましたが、意図的な諷刺どころか相手に誤解を招かせるような行為であっても、しない方がいいのではないかと思ってしまいます。 一方、矛盾するかもしれませんが、このクリスマスを楽しんでしまう日本人、については、ご批判も多くあるでしょうが、少し古い言葉でいえば「あり」なんではないかと思っています。多くの日本人が神仏習合思想を長く続けてきた背景と関連して、異文化を日本的に楽しんでいるだけ、と捉えられるのではないかと思っているからです。逆にキリスト教を意識して楽しんでいるのであれば、それは問題だと思いますが、多くの人々にそういった意識はなさそうです。 ちなみに、どうやら香港の若い世代にも同じような雰囲気(クリスマスにはカップルで過ごすといったことなど)があるようです。ただ、キリスト教の人口は日本よりも多いそうなので、きっと批判している人の数も多いことでしょう。そして、台湾や香港など、宗教や文化に関して、ある程度日本と似たような傾向を持つ国以外、或いは、国内であっても外国からいらっしゃった方々の多くには、この考え方は批判どころかまったく理解されないと思います。つまり、自分も含め各自が真剣に考えていかなければならないテーマであることには違いないと言えるでしょう。 ■ハッピー・ニュー・イヤーお正月気分を味わえないのは、やはり海外にいる寂しさです。ヨーロッパはやはりクリスマスが盛り上がるので、新年はそうでもない、と聞いていたのですが、BBCの放送を見ていると、ロンドン・アイ(観覧車)付近のテムズ川界隈で、ドドンパ(死語?)と花火が打ち上げられている様子が中継されていました。そして、人手の多いこと多いこと。スコットランドでは、クリスマスよりも新年の方をむしろ盛大にお祝いすると聞いていたので、ロンドンのスコットランド人が騒いでいるだけなのかもしれません。 そして、意外でしたが、花火ってのは、新年だけでなく、イギリスにいても何度か経験しているのです。日本のように夏の風物詩ではなく、ちょっとしたお祭り騒ぎのようなとき(試験が終わる、新学期が始まる、などなど)に、学生たちが打ち上げているのも目にしましたが、一番有名なのは花火イベントとして成り立っているガイフォークスナイトです。 11月5日に行われる、この花火イベントは、なんでも、熱心なカトリック信者であったガイフォークスが国会議事堂爆破とともにジェームズ一世の暗殺を企てた(失敗に終わった)ことに由来しているそうですが、いまだに「なんでそれがイベントになるわけ?」と思ってしまいます。ちなみに、イギリスではハロウィンはさほど盛り上がらず、このガイフォークスナイトの方がエキサイトするようです。 さて、新年話ですが、イギリス人は、新年は意外と早めに働き始めます。4日からなんてのも別に不思議でありません。ただ、クリスマス前からずっと休暇を取っているので、少なくとも2週間ぐらいは休んでいると思います。バカンスを挟む人に至っては、1ヶ月なんてのもザラで、その時間の流れのゆっくりさには驚くばかりです。「ゆとり」というのでしょうか? 日本でも、時短、フレックス、なんて言葉が流行った時代が過ぎ、次段階に来ているはずが、なんだか頭打ちになっているような、どうも「ゆとり」のある社会生活には至っていないような、そんな印象を受けます。何年か前に成人の日を月曜にするといったようなハッピーマンデーの議論が行われていた時も、そんなことより土曜と祝日が重なった場合も振替休日を作ることから始めてくれよ、と思ったものです。 むやみに祝祭日を増やすことが「ゆとり」につながるわけではないでしょうが、古来の伝統行事や古くからの習慣を「家」で経験させるうえでも、意味のはっきりしない祝日を作るぐらいなら、夏至や冬至といった節気などと絡めて祝祭日を設置するなんてのも一考の価値があるのではないでしょうか? | |
2005年1月17日 | |
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