【Fami Mail】 特別寄稿連載  
 
『噛めば噛むほどYale − 胸の高さで見た景色』
〜目次〜 イェール大学留学記
*題名について
Yale University(イェール大学) 林学及び環境学スクール
環境科学修士&開発経済学修士
大司 雄介
<第8回>職探し

 卒業後の路

 2004年1月から始まった新学期は、僕と、僕と同時に入学した友人たちにとっては感慨深い学期になります。この学期が終われば晴れて卒業なのです。中にはそのまま博士課程まで進む人もいますが、ほとんどの人にとっては、人生で最後の学生生活です。僕の周りを見てみると、ほとんどの人が社会へ出て行くのを待ちきれないように見えます。

 アメリカ人の学生のほとんどは、自ら借金をして学費を払っています。つまり、今後数年間、数十年間に渡って、何百万円にも膨れ上がった借金を返していかなければならないのです。出だしからくらーくなりますが、今回は、アメリカでの就職活動のお話です。

 これまでも書いてきたように、僕は在学中にマダガスカルに行って、国立公園の金銭的価値を調べる研究をしています。将来は、地球温暖化の影響を金銭評価するような研究にたずさわりたいと考えています。このような研究をすることで、世界の貧しい人々を少しでも手助けができるのではないかと考えているからです。このような希望が活かせる職場は、どんなところなのでしょう。

 手短に言ってしまえば、そのような研究をするためには、民間・非営利・国際組織の研究機関かアカデミックな世界で教授になるしかありません(おそらく他にも様々な方法はあるのかもしれませんが、自分自身が生きていけるだけのお金を稼ぐこと、そして多少なりとも影響力のある仕事をすること、という点を考慮するとこの二つが最も現実的です)。

 さて、目指すところが見つかったら、次はどうやったらそこで働けるのか、という話です。まず、教授になるにはどうしたらいいのでしょう。日本の大学を見ると、教授といっても様々な経歴を持った人がいます。ずっとアカデミックな世界に残り、博士号を取ったうえで教授になる人もいれば、修士課程を修了し、助教授として経験を積んでいく場合もあります。あるいは社会に出てそれなりの業績を積んでから、アカデミアに戻る人もいます。

 しかしアメリカでは、大学教授のほとんどが、博士号を取った人々で、修士課程を終え次第教授になれるなどということは、100%ありません。僕は、日本とアメリカの教育の質の違いを決定付ける要因の一つはこのあたりにあるのではないかな、と思います。さらに付け加えれば、僕は12月までに二つの修士(環境科学修士と経済学修士)をもらうことになりますが、とてもじゃないけれど、今の自分は人に物を教えられるようなレベルにはありません。つまり、僕にとっては、博士課程に進むのは一つの選択肢です。

 もう一つの選択肢、研究機関で働くのはどうしたらいいのでしょうか。これは博士課程に進むよりも長期的に戦略を立てる必要があるかもしれません。特にアメリカで働く場合はなおさらです。というのは、このような機関の就職採用条件は、「博士課程を有すること、あるいは10年以上の研究経験があること」などとなっていることがほとんどだからです。どの機関の採用情報を見ても、相当年数の経験を要求してきます。

 僕らにしてみれば、最初は誰だって経験がないのに、そういう人を雇ってくれるところが全くないのだったら、どうやって10年の経験を積むんだよ!と言いたくなります。鶏が先か卵が先か、です。
いずれにしても、僕が望むような仕事につく場合、博士号を持っているに越したことはないようです。そうすると、今からあと5年間、学生生活が続くことになります。気が遠くなるような道のりですよね。

 もう少し新たな可能性を探るために、僕はこちらでの一般的な就職活動にも参加してきました。恐らく以下で紹介するお話は、これを読んでいる方にも多少役立つ情報も入っているかもしれません。僕の通うFESでは1年に何度か、学生のための就職セミナーというものを開催するのです。アメリカで環境に関連した分野で働こうとしても、第一に仕事が非常に限られています。そして外国人の学生にとってはビザの問題も大きな支障となります。外国人がアメリカで働く場合、雇用者側はビザのスポンサーにならなければならないためです。これは会社にとっては余分な負担です。そのためその学生がアメリカ人学生と比べて絶対的な優位性を持っていなければ、なかなか雇ってもらえないのです。

 今回僕が行ってきたセミナーは、エール大学FESとデューク大学の環境学部が共同で開催したもので、場所はなんとアメリカの首都、ワシントンDCです。これは戦略的理由というよりは、ただ単にワシントンDCが両校の中間地点だから、という地理的理由によるものが大きいのですが、それでもその結果として、そこに本部を置くかなりの数の国際機関、NGO、民間企業等がそのセミナーに参加します。つまり学生にとって、もっとも働きたい機関の多くが一同に集まるのです(やっぱり多くの学生は、組織のヘッドクオーターで働きたがる傾向にあります)。こんなチャンスは滅多にないのです。さらには、他の時期に開かれるセミナーに比べ、今回は卒業を間近に控えた2月に開催されるため、学生も参加団体もそれなりに本気なのです。それを表すかのように、本来このようなセミナーでは企業紹介のようなもので終わるのが普通なのですが、今回のセミナーでは事前に登録した学生と団体・企業が面接まで行うのです。


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ワシントン

卒業を間近に控えてみなで撮った集合写真

ニューヘブン

アメリカの就職活動

  アメリカで職探しは一般的にどのような形で行われるのでしょうか?教育スタイルだってファーストフードのジュースのサイズだって、映画館のポップコーンのサイズだって全然違うアメリカのことですから、当然就職活動だって日本とは全然違います。

 一般的には大学生・大学院生が卒業を迎えるこの時期に、それなりにピークを迎えると言っていいのだと思いますが、日本のようにある時期を境に急に、街中にリクルートスーツの学生が急激に増えるような感じではありません。みな5月に卒業するといっても3ヶ月ほど休んで旅行に行ってしまう人もいれば、卒業後すぐ6月から仕事を始める人もいて、人それぞれです。

 基本的には自分の興味のある会社のホームページの採用(Job/Employment opportunity)ページに行き、自分が働きたいような職種が空いていれば応募するという形が多いかと思います。あるいは、以前に知り合ったり関わったりした人に、直接メールや電話で問い合わせてみるという形もあります。日本に比べると、やっぱり「自立型」と言えるかもしれません。周りが始めたから自分も・・・みたいなことはなかなかないようです。例外のひとつは、国際機関などのように年に1度か2度の締め切りが決められている場合です。この場合、その締切日に何千通もの応募書類が届くことになります。

 応募の方法がどのようなものであれ、相手側(雇用者側)が求めてくるものは似通っています。その中で最も重要と言われているのが、カバーレターとレジュメと呼ばれるものです。カバーレターは、日本ではそれに対応するものがなかなかないのですが、紙1枚程度に自分がなぜその職に応募するのか、なぜ自分がふさわしい出願者であるのかを簡潔に書いた紙です。レジュメとは日本の履歴書ですが、内容が日本の履歴書とは随分違うので、そのまま英語のレジュメと呼ぶことにします。

レジュメの書き方

 日本でも、これだけで本が書けてしまうほど大切な履歴書ですが、おそらくアメリカのレジュメは日本のそれ以上に大切かもしれません。就職セミナーの直前は、みんなが必死になってレジュメのフォーマットや中身を考え、見せ合い、アドバイスをし合います。

 まず、日本のように、決められた用紙というのもありませんし、フォーマットも人それぞれです。またこちらのレジュメは年齢も性別も書かないし写真も貼りません。応募要綱の中に年齢制限が設けられている場合はありますが、それを満たしていればいいのです。年齢や性別や見た目で、その人の能力が決まるわけではないので、書かないし、求められないのです。極めてストレートで単純で気持ちいい。それだけではなく、学生時代の専攻、過去の職歴、関連分野における経験、所属学会等を書くのですが、その名前以上にそれらの過去の経験の一貫性が重視されます。

 例えば、世界銀行の貧困撲滅プロジェクトのコンサルタント職に僕が応募するとします。そのような場合、例え僕がエール大学で英文学学士、ハーバード大学で歴史学修士、プリンストン大学で経済学博士号をもらっていたとしても、大学のネームバリューはあまり役にたたないかもしれません。むしろ「この人は何をやりたいんだろう」という印象を与えてしまいます。自分の過去の一貫した経歴が重要になるのです。


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ニューヘブン の綺麗な門いろいろ

面接

 さて、このような準備を整えたらいざ面接です。ワシントンでは僕は2団体と面接をしました。面接をするに当たって必要なのは、日本もアメリカもそれほど変わらないでしょう。やはりその会社のことを良く調べておくことが重要です。

 ただ一点大きく違うのは、面接官と学生、出願者の関係です。これはアメリカにおける人間関係全般について言えると思いますが、面接の場でもこの両者は極めて対等です。僕は英語で面接を受けるのは始めてのことだったのですが、そのためか思っていた以上に緊張しないですみました。

 面接は、エール、デュークの学生それぞれ一人ずつに対して面接官一人から二人で行われました。時間は30分です。やっぱり心配は言葉の問題でした。僕はアメリカでの生活が計3年近くになるので、普段の言葉でそれほど苦労することはありません。しかし、それでも英語で「話す」ことは「聞く」ことに比べて何倍も難しいと思います。僕は自分が勉強していることに関しては、日本語と英語の区別なく普通にしゃべれると思います。でも、予想外のことを聞かれて戸惑ってしまったらどうしよう、などと心配ばかりが先走りました。
でも終わってみれば、初めてにしては上出来の結果だったと思います。随分自分を売り込むことができたようにも思います。「どのような研究をしているのですか?」とかなり踏み入ったことまで聞かれたから、得意になって答えることができました。

 もともと今回の面接は、その場で「ハイ、採用」となるようなものではありませんでした。これを最初のステップとして、学生が担当者に連絡を取れるようにするためのものです。僕が将来進みたい道に直接つながるような組織・企業も非常に限られていました。それでも、僕にとっては、アメリカで初めて就職活動を経験してみるという意味ではとても有意義だったように思います。

 さて、冒頭で述べた、恐らくほとんどの人には興味のない、僕の進路に話を戻しましょう。

 僕の気持ちは、日々、より高いレベルの教育へと傾いていっています。修士プログラムというそれなりに高いレベルの中での生活も、既に2年を経過しました。しかし今でも、日々、新たなことを学ぶことに僕は限りない知的興奮を覚えます。それは決してドラマテッィクなものではありませんが、十一月に降る雨のように、ささやかでも確固としたものです。恐らく僕は、このままアカデミアに残ることを決めるのかもしれません。
その道へと進む前に、重要なマイルストーンが訪れます。卒業です。

 来月は、エール大学の卒業式の様子を紹介して、僕の9回にわたる連載を終えようと思います。


 

2004年5月17日

つづく


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